最近あまりヨガのお話をしてませんでしたね
以前ヨガ哲学のお話をしたところ、意外にも反響があったので
以前ヨガ哲学のお話をしたところ、意外にも反響があったので
今回もヨガ哲学に触れてみます。
ヨガの教えで
『アーサナ(ポーズ)は、快適で安定したものでなければならない』
というのがあります。
快適さと安定感を持つものならどんな姿勢でもアーサナであると言われています。
ただ実際はある一つの姿勢をとるとすぐに、ここが窮屈だとかあそこが痛いだとか言ってあちこち動かさずにはいられないものです
身体が健康で毒や緊張から自由でないと、快適な姿勢は容易には得られません。
身体、そして心の毒がこわばりや緊張を生むのです。
『私達をこわばらせるものは何でも、私達を壊すこともできる。
柔軟であるときのみ私達は壊れない』と言われています。
ここでまた1つ、こんなお話しがあります
両方ともジャングルの中の急流の土手に生えていたのだが、ある日その大木が、ちっぽけな草を見下ろしてこう言った。
『おいチビ助!なんでお前は俺のそばに生えてるんだ。そんな風に俺と並んで生えていて恥ずかしくないのか?見ろよ、この俺の立派なことを。なんて大きくて高いんだろう。なんて強くて堂々としてるんだろう。
象だって俺を倒せやしないぞ。
ところがおまえときたら、ははは...。おまえはここへくるべきじゃなかったんだ。人が見たらきっと、そのあまりの違いに大笑いするだろうよ。なんでどこかへ行ってしまわないんだ?』
草は頭を垂れて言った。
『はぁ。そんなふうに言われても。私は別にそうしようと思ってここへ来たわけじゃありません。たまたまそうなってしまっただけで。たしかに私はあなたのように強くて固くはありませんが...でもどうぞ私をここにいさせてください。』
大木は声をとどろかせて言った。
『いいだろう、だか自分の分限をよくわきまえておけ!』
このやりとりがあったのは雨の季節だった。
そしてまさにその翌日、大雨が降ってジャングルは水浸しになり、怖ろしい洪水が起こった。
川の水があふれ出すと、それは堤防を崩し、あらゆるものをなぎ倒して進んだ。
水の勢いがそんなだったから、それはその木も簡単になぎ倒してしまった。
しかし草の方は姿勢を低くし、身体を水平にして水をやり過ごした。
洪水がひくと、草は再び身体を起こした。
そしてあちこち見回して驚いた。
『あの大木はどうなったんだろう?姿が見えないが...』
すると遠くの方からその木の答える声がした。
『私は水に引き抜かれてしまったんだ。私もおまえのように謙虚で単純で柔軟であればよかった...。私はもう駄目だ...。』
これは、私達に必要なのは鋼鉄の強さであり同時にまた、その柔軟さであるということです。
そういう身体はいつも健康で緊張がない。
いつでも身体も心も柔軟でいられたらいいですよね
ただ現実は難しいです
身体に悪いと思っていても、ついつい食べ過ぎたりお酒を飲み過ぎたり、夜更かししてしまったり。
それにイライラしたり怒ったり泣いたり。。
出来ればそれらをせずに過ごしたいものです。
ただそういう失敗や後悔をしても
反省して次にいかせればいいじゃないかと私は思います
柔軟でなければならないと決めつけるより柔軟でいられるよう日々心がけて生活する方が楽しいんじゃないでしょうか
そう私は勝手に解釈しちゃってます
物事の見解は人それぞれですし。。
とは言っても、最近は体調に甘えて自主練をサボってる
以前は日常生活で背筋を整える事が自然に出来てたけど、サボってるせいかいい姿勢を保つのが少し大変になってきた
柔軟さが衰えてる。
自主練また再開しないと。
偉そうなこと言えませんね