お友達と、萩散策ドライブに行ってきました![]()
車で2時間程度ドライブして、目的地の松陰神社に到着。
ちょうどお昼時なので、松陰神社の敷地内にある松陰食堂へ。
おしながきを見ると・・・ほとんど松陰とついてる![]()
うどん・そばなどが多いので、
松陰うどんを注文!
ちょっとびっくりなのは、夏みかんが入ってたこと。
あとは練り物がほとんどですね。
普通のおうどん・・・夏みかん風味といったところでしょうか![]()
夏みかんのカオリが結構しっくりきてました。
で、気になっていた、松陰だんごを注文!
もち米の入った団子を焼いてゆず風味の味噌をつけたのが手前の松陰だんご。
奥は春限定のさくら風味だそうです。
さくらが練りこんであり、こちらはおだんごのみ。
結構大きいので、これだけでおなか一杯になりそうでした。
金額も、んーって感じ(笑)1本330円なり。
ま、観光地だから仕方ないねー。
おなか一杯になったところで、
散策に出発!
松陰神社は結構広くて、森の中にある感じ。
松陰を祭神とする神社で、明治23年に松下村塾の西側に土蔵造りの小祠を建てたのが始まりです。
御神体として、松陰愛用の赤間硯と父叔兄宛に書かれた書簡の2品が祀られています。
桜は終わった後だったけど、八重桜がきれいに咲いていました。
かえでも小さな花がついて、緑がとてもきれいです。
太陽光をあびて、きらきらしてました。
新緑いいですね。
吉田松陰が身分や階級にとらわれずに教育を行ったところ。
1年1か月の短い期間に維新の原動力となった逸材がたくさん出ています。
高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞など・・・。
吉田松陰幽囚の旧宅です。
下田での海外渡航に失敗した松陰が、野山獄に入れられ、翌年にこの実家である杉家に帰され謹慎生活を命じられました。家族からの薦めもあり幽囚室で孟子などを講じるようになり、次第に多くの若者が参加するようになりました。
それから、松下村塾の主宰に至ります。
記念に1枚(笑)
松陰神社からすこし歩いて、伊藤博文生家へ。
左奥に伊藤博文の銅像があるの、わかるかな?
木造の茅葺の平屋で本当に小さなものでした。
29坪だったかな?
現在は国の史跡に指定されています。
次に玉木文之進旧宅へ。
吉田松陰の叔父で、松下村塾の創始者です。
有能な藩士だったのですが、部下が起こした不始末のために免職となり、自宅に近所の子供たちを集めて私塾を開きました。これが松下村塾のはじまりです。
もとは、松本(松下)村という地名で、松下村塾の名前は地名から来ています。
ここでは、ボランティアガイドの方からいろんなお話を伺いました。
乃木希典も親戚の玉木文之進のもとに寄宿して指導を仰いだそうです。
それから、萩で見かける紋白蝶の黄色は、吉田松陰先生だということです。
魂が乗り移り、いまでも街中を飛んでいるのだとか・・・。
ちょうど、玉木文之進旧宅で紋白蝶の黄色と出会いました。
お天気がとてもよくて、散策にはとてもいい気候です。
今度は結構歩いて・・・
実はちょっと道を間違えてしまったのですが(笑)
吉田松陰などのお墓があるところへ・・・
お墓は、さすがに写真には残せないので、石碑だけ。
お墓の少し奥に行くと、生家のあったところです。
山の上で、手前には海の見えるとても素敵な景色が広がっています。
静かでいいところですね。
建物の敷石が写真(下)のように残っています。
たしか右手前が玄関でした。
右側(写ってはいませんが)に松陰産湯の井戸が残っています。
松陰の本名は矩方、通称寅次郎と呼ばれていたそうです。
景色をみながら、少し休憩して
また歩き始めました。
東光寺総門です。
中国の明時代の末から清時代の初めにかけての黄檗伽藍様式で、伽藍配置は龍の形を表したものだそうです。
萩藩三代藩主毛利吉就が建立しました。
毛利氏菩提寺です。
東光寺、三門です。
時間が止まったような、静かでとても落ち着く場所でした。
周辺を歩いて周り、松陰神社へ戻ります。
帰る道も整備されていて、素敵な散歩道です。
桜の木が多かったので、もう少し早ければとてもきれいだったかも![]()
松陰神社に戻ってから、ちょっとお土産を購入して、ドライブです。
約1時間少しドライブしたあと、お腹がすいたので、道の駅でハンバーグ定食を食べました。
お友達お勧めだったのですが、これが結構おいしい。
また来たいな![]()
歴史に触れ、楽しい一日でした。















