4月21日(日曜日)に下関の高杉晋作ふれあいウォーキングに参加してきました。

9時30分下関駅集合、参加人数が多いせいか2班に分かれての出発でした。

駅を出発して少し、中国電力の敷地内に

奇兵隊結成の地があります。

白石正一郎宅のあった場所です。

回船問屋をしていた白石正一郎は尊王攘夷の熱心な信奉者となり、騎兵隊に入隊し高杉晋作を援けたといいます。

奇兵隊は結成以後、白石邸に寄宿していましたが、隊員が増えて手狭になったため阿弥陀寺へ屯所を移したそうです。

ちょっと話はそれますが、白石正一郎が攘夷戦必勝を祈願して寄贈した大鳥居が下関駅近くの大歳神社にあります。

鳥居には白石正一郎の名が刻まれていますよ。

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ここは、国道191号線沿いですが、その当時はここからが海だったそうです。

下関の昔の地図が見てみたいですねビックリマーク


お天気はとても良いのですが、前日の雨のせいか少し風が冷たくて、もう少し着て来ればよかったかな~とちょっと思っていました。

カットソーに薄手のトレンチコートでは、ちょっと寒かったかも!?

ま、歩いているうちにあったまるかな?


少し歩いて、国道から中道へ。

そこには高杉晋作終焉の地と書かれた石碑があります。

今は石碑だけですが、その当時は庄屋・林算九郎邸の離れがあったそうです。

ここで、29歳、肺結核で最期を迎えたということです。

明治維新のわずか2か月前のことです。

父・母・妻・息子と野村望東尼が看取ったとされています。


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厳島神社入り口にある萩藩新地御用所跡の石碑です。

萩藩の下関の拠点である新地会所があったところです。

一度は博多まで逃れていた高杉晋作が、長府の功山寺で挙兵し、まず最初に襲撃したとされる場所です。

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この厳島神社の太鼓・・・小倉城のものです。

高杉晋作は白石正一郎とともに、厳島神社で奇兵隊の結成と必勝祈願を行い、その後勝利の御礼として小倉城の太鼓を奉納したということです。

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厳島神社奥に進むと民家の敷地内に高杉晋作療養の地があります。

第二次長州征伐で幕府軍を小倉口で撃退した高杉晋作ですが、この時すでに肺結核に冒されていました。

病状が悪化した晋作は桜山神社ちかくのこの地に小さな家を建て、東行庵と名付け、野村望東尼、おうの(晋作の愛人)の看護を受けながら闘病したということです。

その時の気持ちをつづった漢詩が石碑に刻まれています。


落花斜日恨無窮
自傀残骸泣晩風
休怪移家華表下
暮朝欲払廟前紅



落花斜日恨窮まり無し
自ら愧ず残骸晩風に泣く
怪しむを休めよ家を華表の下に移すを
暮朝払わにと欲す廟前の紅

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ここでの闘病後、正妻のマサが萩から訪れたことで、終焉の地である庄屋・林算九郎邸の離れに移ります。



次に、桜山神社へ。

下関攘夷戦、第二次長州征伐、北越戦争で戦死した者を神として祀るため、慶応元年に造られた招魂場です。

桜を植えて霊を慰めたことから桜山招魂場と呼ばれ、のちに桜山神社となったそうです。

鳥居をくぐった階段のわきに七卿史跡があります。


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文久3年8月18日の政変により、尊攘公卿の三条實美を始めとする七卿は、京都妙法院をあとに、長州へ逃れてきました。

その折、下関の海防視察の途中に、この桜山招魂場に参拝したことを記念した石碑です。

すでに、澤宣嘉は生野の変に加わるため抜けており、錦小路頼徳は病に倒れて、五卿となっていました。

錦小路頼徳は、先に出てきた白石正一郎宅で亡くなったそうです。



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桜山神社の中には、左に高杉晋作の木彫りの像、右に吉田松陰の木彫りの像が祀ってありました。


また、少し歩いてから了円寺へ。

ここは、高杉晋作が萩藩新地会所を襲撃したあとに待機していた場所です。

本堂の奥の柱に刀傷が。

普段はあまり入ることのできない場所なので、今日は運が良かったようです!

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話は高杉晋作からちょっとそれるのですが、伊崎町の古い町並みです。

ここは、出口のない海で撮影に使われた場所だそうです。

映画・・・観たんだけどさすがに覚えてないあせる

今度DVD借りてきて、確認しないと・・・と思っています。

でも、ほんとに昔の風情が残ってて、タイムスリップしたかのような町並みでした。
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この少し先に、晋作が身を隠したと伝えられている「ひょうたん井戸」があるそうです。

細い路地を入って、民家の庭?なのでわかりにくいかも。

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ここはヘレンケラーで小林綾子が井戸から水を汲んで浴びるシーンも撮影されたそうです。


路地をでて、すぐのところに関谷松兵衛旧宅跡があります。

建物は現代的な素敵な色の家に変わっていますが、関谷松兵衛さんの子孫が住んでいらっしゃるそうです。

ここは、19歳の吉田松陰が5日間滞在した場所だそうです。

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時間にして、3時間くらいでしたが、内容の濃いウォーキングだったと思います。

全部は書ききれていないのですが、だいたいの流れです。


萩、そして一週間後に下関と、吉田松陰・高杉晋作など、近代日本の新しい幕開けを飾った英雄たちの足跡をたどってみました。

とっても、勉強になりました!!