こんにちは。


らんです。





今日の記事は


安倍元総理襲撃事件について


書こうか書くまいか


悩んでましたが


やっぱり書き留めておきたくて


こうして書いてます。


ダークな内容を含むので


苦手な方はスルーお願いします🙇‍♀️







あの日


仕事中流れてくるラジオで


事件のことを知りました。


ざわざわと鳥肌が立ちました。



夕方のニュース番組で


安倍さんが


お亡くなりになったと報じられ


涙が出ました。



それから


連日のように


あのときの現場の映像が流れ


心が苦しくなりました。



なんで


国のために


長年力を尽くしてきた人が


こんなことされなきゃいけないの?


なんで


加害者は


暴力という形で


自分の感情を人にぶつけ


命を奪うことができるの?



悲しい。


悔しい。


心が危険信号を出しているので


もうこれ以上


ニュースを見るのをやめました。




こういう事件が起こったとき


私は


加害者側の心情に


リンクしてしまいます。




加害者は


1年前から武器を作っていた。


その間


どんな気持ちでいたんだろう。


1年以上


誰かに殺意を抱くほどの恨み。


自分がそんな事件を起こしたら


悲しむ人がいると思わなかった?


悲しませたくないという人は


1人もいなかったの?



相手も


自分と同じ人間だということ。


傷つけば痛い。


大切にしたい人がいる。


この人がいなくなったら


嘆き悲しむ人たちがいる。


そんな想像ができなくなるほど


いや


そんな想像をするからこそ


相手を傷つけることができると


自分の感情を抑えられなくなるほど


追い詰められてしまったの?



そして


その人の周りには


様子がおかしいと気づき


あなたがやろうとしていることは


間違っていると


諭す人はいなかった?


加害者になる前に


心に寄り添ってくれる人は


1人もいなかった?


それとも


そんな人の言葉が


耳に入らなくなるほど


自分の恨みに


取り憑かれてしまったの?



その置かれた環境を思うと


どうしようもなく苦しくなる。




加害者に同情の余地はない。


失われた命は戻らない。



ただ


加害者の心は


長い間


とても痛かっただろうな


と思う。




こうしたことが


もう起こらないようにするには


どうしたらいいのか


気づくと


そんなことばかり考えてます。



警備体制を強固にしたり


法律を厳しくしたり


それはもちろん必要なことだけど。



加害者が


加害者になってしまう前に


できることはないのかな。





私は以前


鬱状態になって


消えてしまいたいと


毎日のように思っていた。


運転中



ハンドルから手を離して


目をつぶれば


消えることができる。


そんなことをずっと考えていた。



だけど


私がそうすることで


巻き込まれる人が


いるかもしれない。


単独でいけたとしても


残された家族はどうなるの?


家族の泣き叫ぶ顔が浮かんで


どうしてもできなかった。



私がそうできなかったのは


きっと


これまでに注いでもらった


たくさんの愛情があることを


覚えていたから。


苦しいとき悲しいとき


寄り添ってくれた人。


家族だけじゃなくて


すれ違いざま


ほんのいっとき


親切にしてくれた人たち。


そうした人たちとの情景が


心のどこかに思い浮かんだから


自分がやろうとしていることを


自分の意思で


思いとどめることができた。




20年ほど前に見た映画


『ペイ フォワード』


のことを思い出しました。


ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。

中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。

トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。

                  Wikipediaより



この映画は


今でも心に残ってる。


いい話だけど


映画の中だけの「きれいごと」


だと思ってました。



だけど


非力な私が


この世界を変えたいと思うなら


「きれいごと」でも


やってみればいいんじゃないかな。



ほんのちょっとのことでいい。


笑顔であいさつをする。


悩んでる人の話を聞く。


スーパーで


置きっぱになってるカートを


ついでに片付ける。


ほんの少しの善意が


私から他の3人に


3人から次の9人に。


9人から次の27人に。



ほんのちょっとの善意が


どんどん広がっていって


大きな失望を抱いている人に


周りからの善意が少しずつ届いて


世の中は失望だらけじゃない


そう気づくきっかけに


なったらいいなと思う。




たまに


私の使命ってなんだろうって


思うときがあります。


ちっぽけな私に


使命なんてなくて


何事もなさぬまま


一生を終えるんだろうなぁって。



だけど


ほんの小さなことでも


目の前のことだけでも


変えることができれば


いつの間にか


世の中を変えられるかもしれない。


1人じゃできないことでも


1人が動くことで


変わっていくことがある。


使命とは


そんな大それたことじゃなくて


ほんの小さなこと


なのかもしれない。






今回


私が感じたことを


感じたままに書きましたが


気分を害された方


いらっしゃるかもしれません。


お詫び申し上げます。




最後に


安倍晋三元総理のご冥福を


心からお祈りいたします。