らんです。
この間も書いたばかりですが
寺地はるなさんの作品に
はまってます。
図書館に行っては
数冊まとめて借りてきて
じっくりと読んでます。
どの物語も
私にとっては宝物で。
とても大切なものを
心に残してもらってます。
寺地はるなさんの作品を読んでいて
そう言えば…
ふと
心に浮かんだ出来事があります。
以前、仕事先で
パートの仲間たちが
上司に怒っていました。
上司の仕事のやり方は
私も納得いかないことが多く
みんなが怒る理由は
もっともだと思う。
でも
私は怒りの沸点が人より高いのか
話を聞きながら
「そこまで怒らなくても…」
みんなとの温度差を感じることが
結構あって
話を合わせるのが
ときに苦しく感じられます。
ある日
私がいない時間帯に
また上司がやらかしたらしく
みんな
ぷんぷんに怒っていたそうです。
次の日
そのうちの1人が
私に話しかけてきました。
「他の人たちは、昨日あれだけ怒ってたのに、今日は普通に上司と話してる。なんであんなに和やかに話せるの?意味わからん!」
上司に、と言うより
パート仲間に怒っている様子。
その話を聞いて
すごくもやもやしました。
なににもやもやするのか
そのときは
うまく説明できなかったから
「そうなんや~」
当たり障りのない返答をしました。
そして家に帰って
じっくり考えてみました。
いくら仕事で腹の立つことがあっても
挨拶や返事はきちんとする。
それが社会人のマナーだと
私は思う。
その人は
上司に怒っているとき
あからさまに挨拶の声が小さいし
上司と目を合わそうとしない。
私、怒ってます!
その気持ちを態度で主張している。
その人が
そこまで腹を立てるのは
仕方のないことだし
そういう態度を取ることは
気持ちのいいことではないけど
私がとやかく言うことではない。
ただ
他の人にも
自分と同じ態度でいて欲しいと思い
そうしない人たちに腹を立てるのは
さすがにどうなの?と思う。
人の感情や行動は
その人のものであって
他の誰かが
どうこうできるものではない。
私とは違うんだと
ただ認めるだけで
いいんじゃないの?
そうか
私はそう言いたかったんだ。
あのとき
そう思ったことを思い出してから
…でも、あれ?
結局は私も
あの人の怒り方に
もやもやしてるよね。
ってことに気づきました。
怒っているあの人を
ただ認めればいいだけなのに。
でもやっぱり
あの人のああいうとこ
ちょっと苦手だな。
ああいうとこは苦手だけど
あの人が嫌いかというと
そうではない。
いや、むしろ好きかも。
相談事には
親身になって乗ってくれるし
私にはいつも
やわらかい笑顔を向けてくれる。
好きなら
私の気持ちを伝えてみても
いいのかな?
ううん、しない方がいい。
きっとうまく説明できないし。
今までも
こうやって当たり障りなく
やってきたんだから。
そこまで思いいたって
気づきたくないことに
気づいてしまいました。
…そっか。
私が
周りの人よりも
穏やかでいられるのは
心が広いからじゃない。
優しいからでもない。
こうやって
逃げてきたからだよね。
相手とも
自分とも
向き合うのが怖いから
適当に流してきただけ。
楽な方を選んできただけ。
『人より怒りの沸点が高い』なんて
すましたこと言ってないで
本当は
もっと怒ってよかったんじゃない?
私はこう思うって
主張すればよかったんじゃない?
あの人は
自分の気持ちを
丁寧に感じられる人なのかも。
自分の怒りの感情を
なかったことにしないで
きちんと感じてあげる人なのかな。
やり方はともかく
自分をごまかさない生き方。
私はそれがうらやましくて
もやもやするのかな。
私
これからも
こんな生き方でいいのかな?
もっと
ひとつひとつのことと
丁寧に向き合うことが
できたらいいのに。
そう思いました。
私は文章を書くのが好きです。
でも
表現力に乏しい。
一貫性がない。
私が思っていること
熱い気持ちを
こうして一生懸命言葉にしても
本当に伝えたいこととは
結構なギャップがあって
それを補うために
さらに言葉にすると
どんどん離れていってしまって
もう戻ってこれない。
もどかしい思いをしています。
寺地はるなさんの作品は
うまく言葉にできない
もどかしい私の気持ちを
物語にのせて
すっと表現してくれる。
そうそう、それです!
私が言いたいのはそれなんです!
気持ちを代弁してくれたようで
もやもやがすぅっとします。
そして
これまで
たくさんのことを
なかったことにしてきた私に
もっと丁寧に生きていいんだと
教えてくれました。
人との出会いだけじゃなく
本や漫画、映画など
作品との出会いも
私を成長させてくれます。
ブログをたずねてくださった皆様
ありがとうございます。
それではまた