こんにちは。

らんです。




先日整体で

足の様子を診てもらったとき

「痛みを気にしすぎるのも
    よくないんですか?」

って聞いてみました。

「そうですね。
    痛みは探さない方がいいです。」

と言われました。


関節の可動域はある程度決まっていて

柔らかければいいというわけではない。

関節の構造からして

それ以上動かせない範囲を動かそうとして

「この動きをすると痛いんです。」

と受診する患者さんも多いそうです。


私の場合も

最初はちょっとした痛みだったのに

「どの動きだと痛いんだろう?」

あえて痛くなる動きを探りだしてから

どんどん痛くなったような感じ。


痛みを気にすると

余計に痛みを感じるようになる。


脳みそが

痛みを感じる神経回路を

どんどん太くしてしまうからなのかな。



そう言えば

長男が不登校だった頃も

足の痛みがなかったわけではない。

そこに痛みはあったけど

その痛みよりも

長男のことの方が心配で

痛みにフォーカスする余裕がなかった。


長男が高校生になって

毎日登校できるようになって数ヵ月。

長男への心配が少しずつ薄れていくのと

反比例するように

足の痛みが大きくなりだした。


痛みは本当にあるから

気の持ちようという言い方で済ますと

悲しいのだけど。

痛みと気持ちは

密接な関係にあるのかもしれない。



さとうみつろうさんの詩集に

『気にするな、気になるぞ。』

という言葉があって

本当にその通りだなぁと思う。



でも

じゃあどうしたら気にせずにいられるのか。

それがどうしてもわからない。

だって

痛いもんは痛いんだもん(笑)



人が痛みを感じるのは

生き延びるため。

例えば怪我をしたとき

出血過多になったり

そこからバイ菌が入らないように

痛みという信号を出すことで

怪我に気づき治療して

命を延ばす。


心の痛みもきっとそう。

心が痛むことで

無理している自分

我慢している自分に気づき

心を痛ませる原因から

遠ざける策をとることができる。


ただ

からだも心も

痛みにばかり気を取られていると

その痛みにとらわれてしまう。

痛みに気づかなかったときの方が

ずっと楽チンだったのに。



なにか大きな痛みがあると

他の痛みは気づきにくくなる。

と言うことは

もしかしたら

私の今の足の痛みは

他の痛みをカモフラージュするために

あえて起こしているものなのか。

カモフラージュしたいほどの痛みが

どこかに隠れているのかな。


…おっと。

また痛みを探すところだったキョロキョロ




痛みとのつきあい方は

難しい。





ブログをたずねてくださった皆さま
ありがとうございます。

それではまた照れ