こんばんわ。
らんです。
めぐこさんの記事です。
わたしが思うにね…
たぶん
さっさと
「自分が冷たい自己中な母親であること」
そして
同時に
「自分の子どもが大切でたまらないこと」
この2つが
自分の中に存在すると
そう、はっきり認識して受け止めたときに
だいたいの問題は終わるような気がするのです。
この、
一見したところ
相反しているような性質が
矛盾したまま、自分の中に確かに存在する。
どちらかだけでなはく
両方確かにある。
いいとか悪いとかではなく
ある。
ただ、ある。
理想は持ってもいいけど
残念ながら自分は思い描いていたような理想とは違って
こんな
矛盾した
弱くて
自己中で
優柔不断で
でも
涙が出るほど愛情もあるのがわたし
そんな人が
わたしなんだと
早く、知ること。
もっと綺麗に澄んだ清流のような
不純物のないお母さんになりたかったけど
いろんな矛盾という混沌としたものを抱え込んだままの
水道水なわたし
その水道水という
いろんな混じり気のあるものの中で
子どもがすくすく育っていると
その場に馴染んで育っていると
ただ
それだけのことのような
気がします。
一生懸命、
不純物のない綺麗な水のようになろうとしなくても
多少濁ってるくらいの水の方が
生息しやすかったりするのかもしれません。
いま、何かうまくいってないように見えても
それさえ含めて、
うまくいっている途中
↑
抜粋させていただきました。
めぐこさんの空気感。
ふんわりした中にある強さ、優しさ。
言葉足らずでうまく表現できないけれど。
大好きです。 ←思いきって告白

私は自分のことを、情の薄い人間、情の薄い母親だと思ってます。
長女の反抗期がひどかったときは。
「もう出ていけ、バカヤロー!」
と何度も思ったし。
長男が不登校で家にいるときは。
家に帰りたくなくて。
意味もなくぶらぶら時間潰しするときがあります。
ひどい母親だなぁ、ってよく思います。
でも。
本当に長女が出ていってしまったら。
泣きながらあわてふためいて探し回るだろうし。
ぶらぶらして、うちに帰って長男の顔を見たら。
やっぱり嬉しくなる。
子ども達のことを大切に思う母親でもあったんです。
情の薄い私ばかりみていて。
子ども達のことを無条件に愛してしまっている私はみえていなかった。
『愛情深い母親』でいようと思っていたから。
『愛情深くない母親』の私ばかりみつけてしまった。
本当は。
子ども達を大事に育ててきた『愛情深い母親』の私もちゃんといたのに。
こんな混じりっ気だらけの私とともに。
子ども達は育ってきた。
これまでいろんなことがあったし。
これからもまだまだあるんだろう。
つらくて泣いてばかりだった出来事も。
今は、ほっこりとした記憶になっている。
今、私が子ども達に感じているもやもやした感情も。
いつかほっこりとした記憶になっていく。
そんなことを感じさせてくれた記事でした。
ブログを訪ねてくださった皆様、いいね!ボタンを押してくださった皆様、ありがとうございます

それではまた
