こんにちは。

らんです。

今回は、人の意識について考えてみます。


私がカップラーメンを食べていたときのことです。

普段なら、必ず長男が近寄ってきて、

「一口ちょうだい。」

って食べるのですが、このときは近くにいるのに反応がない。

あれ、おかしいなぁキョロキョロ

と思って長男の方を見たら、夢中でスマホゲームしてました。

つまり、ゲームに夢中でカップラーメンのことなんて眼中にないのです。

そこで、

「おっ!このカップラーメンおいしいなぁ」

って大きめの独り言をつぶやいてみました。

ようやく、長男がはっびっくりとした顔で近寄ってきました。

その姿を見たとき、

「自分が意識してることなんて、ほんの少しのことでしかないんだなぁ。」

と思いました。

長男がカップラーメンを意識している世界ではカップラーメンはあるのですが、意識していない世界ではカップラーメンはありません(カップラーメンどころか、母親すら存在してないチュー)。


このように、意識していなければ、なにもなかったことと同じです。

普段、私たちは、自分が意識したことだけで物事を判断しています。

自分が意識できることなんて、世界のほんの一部でしかないのに、それだけで物事を判断するって、ちょっと怖い感じがします。

出来事の全てを意識して見ることはできません。

そんなことは、神様以外不可能ですもんね。

だから、

人はみんな、出来事のほんの一部しか見えていない

周りの人が自分と同じものを見ているわけではない

ということを理解できれば、人と争う生き方から解放されるのではないかな、と思います。



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それではまた照れ