おはようございます。
らんです。
私はかなりの臆病者です。
「石橋を叩いて渡る」
という表現がありますが、私は石橋を叩いて叩いて、結局渡らないってことが結構あります
やってみたいと思ってるのに、それをしてみて本当に大丈夫なのか、危険な目にあわないか、とにかく調べまくって、自分の中でOKが出ないと絶対にやらない。
だから、やりたいけどできない。
そんな自分を否定する。
こんなことの繰り返しでした。
どうして私はいつもこうなのか。
掘り下げて考えてみました。
子どもの頃、体が弱かった私は、入退院を繰り返していました。
でも成長するにつれ、他の子達と同じように遊んだり、体育の授業を受けたりできるほど元気になりました。
それでも、両親の心配は尽きなかったのでしょう。
「お前は他の子達とは違うんだから、無理なことはするな。」
「お前はお父さんの言うこと聞いてれば間違いない。」
そんなことばかり言われていました。
運転免許を取れたときも
「危ないから、遠いところまでは行くな。」
と、近場しか運転させてもらえず、遠出の必要があるときは親の運転で。
もう十分大人なのに。
こうして振り返ると、自分でも引くほど箱入り娘
結婚して家を出て、両親も高齢になったので、さすがに今はもう干渉してきませんが。
私の臆病さは両親の心配症ゆえだったんだなぁと思います。
大人になってから、箱入り娘のままでは生活に困ることが多く、何度も恥ずかしい思いをしました。
そういうとき、どうしても親のこと恨んでしまうんです。
あんなに干渉されてばっかりだったから、何もできない大人になって苦労することになったんだ。
私がどうしたいかを聞いてくれずに、親の意見を押し付けてばっかりだったから、自分の意見を言うことができなくなったんだ。
確かにそれもあるのかもしれない。
でもね、その考えにとらわれてると、ずっと自分が苦しいまんまなんです。
もう苦しいのはたくさん。
私は楽しくおかしく生きていきたい
そこで、違う角度からもう一度考え直すことにしました。
私には親の言いなりになる他に違う選択肢があった。
言い返すこともできた。
親の意見を無視して、自分がやりたいことやることもできた。
でも、しなかった。
親の言いなりになってきたのは、あくまで自分が選択したこと。
親の言うことを絶対だと信じることで、不安なことから逃げる言い訳にしてたんです。
なにやってんだ、私
もう、親に保護してもらわなくてもいい。
私は私の人生を生きる。
最近、やっとでそのことに気づきました。
そして、自分が親になった今、親の気持ちが少し分かるようになりました。
子どもが大切だったんだ、大切な子どもが危ない目にあったとき、ちゃんと守ってあげられるか、不安だったんだなぁって。
お父さん、お母さん、大丈夫だよ。
私はもう大人だから。
家庭をもって、仕事も頑張ってるから。
危なっかしく見えるかもしれないけど、自分で自分の人生歩いていけるよ。
今まで守ってくれてありがとう
ブログを訪ねてくださった皆様、いいねボタンを押してくださった皆様、ありがとうございます
それではまた