先週の昨日。
先週の土曜…つまり、4/6。
2時半頃かな?
『おじぃちゃんが病院に運ばれた』
『かろうじて呼吸はしているものの、意識もなく心臓も薬でどうにか動いてる状態』
お父さんから電話があって。
一時間後には電車に飛び乗り…普段なら使わない特急使って駆けつけた。
出た頃はまだ降り出しだった雨も、地元駅に着いた頃はザァザァ降り。
しかも駅前はちょうどイベント真っ最中。
このお祭り、毎年のように天気悪いんだよね(笑)
今年は松平健さんでしたっけ?
…可哀想。。。(苦笑)

しかたなくちょっと離れたところでお父さんに車で拾って貰い病院直行。
車で詳細を聞く。
この日来ていた「春の嵐」の原因でもある大きな低気圧。
持病の肺気腫に気圧の大きな変動が関係してたみたい。
着いた先のICU。
ちょうど面会OKな時間で、沢山の管と機械に繋がれてただ呼吸器で呼吸しているだけの状態のおじぃちゃんに会った。
顔色も悪く目も閉じ切れてないまま、ただただ胸だけが呼吸器の音と共に上下している。
本当に生きてるの!?
と、見た目では疑ってしまう。
触れた身体の微妙な温かさと繋がれた機械のピッピッピッという心拍確認の音が、まだ生きていることを証明してくれていた。
待合室に少しずつ集まってくる近い親戚。
二時間ごとに許される僅かな面会時間に交代で会いに行く。
状態はほぼ変わりなし。
23時の面会をしたところで、おじぃちゃんの子ども3人(お母さん、叔母さん、叔父さん)を残し、あたしたちは一度家に帰ることにした。
1日、2日、3日、5日、1週間、それ以上…。
このままな可能性はある。
明日もこのまま保っていれば、朝面会して埼玉に帰ろう。
そうして翌朝7時。
面会したおじぃちゃんは、相変わらずの姿で。
見た目的にはやはりなんにも変わっていない。
でも身体に取り込まれている酸素濃度?みたぃのが、各段に減っているらしかった。
かといって、ずっとこの場にいても何ができるわけでもなく。
また家に帰って予定通り帰り支度をしてお父さんと朝ごはんを食べていると、病院にいる叔父さん(母の弟)から電話が。
容体が急変した、と。
弟と従姉妹に連絡をして病院へ駆けつけたが、やはり見た目的には変わらないおじぃちゃん。
けれども、もう呼吸も心臓も、無理やり機械が動かしている状態らしい。
連絡を受けたおじぃちゃんの兄弟、孫が続々と集まってくる。
「皆さん来られましたか?」
医師が問う。
「あと…あと1組…!」
「孫2人が…」
お母さんたちが答えると医師は「ではあと少し」と下がった。
そして「あと少し」後、また医師が聞いてきた。
「来られましたか?」
「まだです…」
「もぅ、本当あと少しで来るはずなんで…」
お母さんたちの答えに、医師は今度は腕時計を見ながら「そうですか」と呟くだけで下がりはしなかった。
それからたぶん僅か1~2分。
もしかしたらもっと経ってたのかもしれないけど、あたしには1~2分に感じられたほどの短い許されし時間。
「そろそろ…」
険しい表情で医師が発した声は。
おじぃちゃんの命は限界だと。
そう告げていた。
「もうあと少し…!」
「すぐ来ますから…!」
皆で懸命に時間を延ばそうとする中、誰かが呟いた。
「わかりました」
その一言で一瞬にして空気が変わった。
「楽にしてあげてください」
また別の誰かも言う。
機械の停止がおじぃちゃんの命の終わり。
モニターが消える。
2013.04.07
AM 8:38
おじぃちゃんは86年の生涯に幕を閉じました。
通夜、告別式、初七日と、葬儀も滞りなく済み、日常生活に戻って数日。
あの瞬間を目の当たりにしたというのに。
なんだか実感なぃんだょねぇ。
実家に帰っておじぃちゃんちに行ったら、
「おぉ、よく来たな」
って笑って迎えてくれる気がして。
まぁ、きっと、みんなこんな感じなんだろなぁ…。
大好きなおじぃちゃん。
今までありがとう!
そして、これからも宜しく(笑)!
まだまだアタシ、助けが必要だよ。
お空からなら何処にいても見えるよね。
しっかり見守っててね!
ってコトで、死してなお安心させられなぃ、我が儘言うダメ孫でした!