長い夜が明けて院内のコンビニで軽く朝食を買って、自販機で温かいスープも買って食べました。
10時までまだ待つんだ![]()
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昨日から状況が分からないままどれだけ待たされてんだろ??
それから9時を少し超えたくらいの時間に看護士さんが来られ、面会時間でもないのに夫の下へ案内されました。
「夫さんの意識が戻りましたよ!!」
その一言に私達家族は小走りに救命救急センターの中に入りました。
「夫さん分かる?私だよ?夫さん!!!」
「お父さん!!!」
👹「夫くん!!!」
「.............................................................................💧」
口は動くのですが声が出てない!!
そして、意識が戻ったばかりでぼんやりしてる!
こちらの担当医の先生から、意識不明の時に意識が戻っても何らかの後遺症が残るかもしれませんと言われていたので、この時の夫にはドギマギさせられました。
看護士さんが大声で呼びかけてくれて口がパクパクの声なし![]()
少し自分を取り戻しつつある夫がもう苛苛してるのが分かります。
意識取り戻してすぐ苛苛![]()
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そして、絞り出した言葉が。
「ここどこ?眩しいから電気消して!!」
凄く時間をかけてこれが精一杯。
〇〇大学病院の救命救急センターで電気は消せないと言っても、まだぼんやりしてる感じ。
看護士さんや担当医の先生から、言葉は少し時間かかるので、あいうえおボードで話をしましょうと言われました。
私は幸運な事にその時まで意識不明に陥って助かった親族にあった事がなく、心停止したからなのか?意識不明になったからなのか?
手術室に向かう前の夫は普通だったのに、言葉が出なくなるなんて思いもせずに驚きました。
経過観察しないと、後遺症の有無も何処にどんな形で出るのかも分からないと言われ、意識が戻れば普通の夫に戻ると思ってただけに後遺症があるかもという話も含めてショックでした。
その日の2回の面会の為に残りましたが、2回とも余り変わらずでした。
ただ、命の危険性は回避できたみたいです。
鬼姑👹は夕方の面会後に自宅に帰り、私と息子くんも自宅に一端帰りつつ、高額医療証の発行手続きを会社にお願いするのと、夫の状況を説明して夫が取ってただろう休暇以上に時間がかかるかもせれないことを上司にお伝え致しました。
翌日、親族以外面会できないと伝えたにも関わらず、上司の方がお見舞いに来てくださったことには頭が下がります。
救命救急センターに入って3日目にやっと意識を持った夫と対面できましたが、相変わらず声が出ずにあいうえおボードを使っての話となりました。
それから毎日、家族待合室で過ごす日々が始まりました。
息子くんも1週間くらいは、学校に行くのが不安だったみたいでお休みをしました。
人間の生死がかかってるのに、事務手続きや、妻としての医療の選択を瞬時にしなくてはならずに、別居して数年経ってるのに、夫の命を守るために乱雑な手続きの連続、決定の連続、夫のお見舞い、後遺症の心配、息子くんの心のケアと倒れてしまいそうなことをよく1人でやってたなぁと、今の私は感心してしまいます![]()
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皆様が幸せを感じて過ごされますように✨
一日の終わりは笑顔で眠りにつかれますように✨
何の憂いもなく過ごされますように✨
そして、「いいね!」までありがとうございます![]()
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皆様が笑顔で過ごされる事をいつも祈っています✨



