救命救急センターでのもどかしさ | 木苺の猫のブログ

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※これは、過去のお話です。
新婚早々、浮気され離婚をすればよかったのに、子供の為と思い再構築を頑張った16年間と離婚を決意して成立するまでの4年間のお話です。


救急車に乗っても予断を許さない状態ガーン💦

救急車の中でmailラブレターで鬼姑👹に病院が変わった事を伝えました!

〇〇大学病院の救命救急センターについて夫が搬送され、私も!と思ったらまたもや家族待合室に通されました。

処置に時間がかかるから待って欲しいと。

その時に息子くんから電話がかかって来て場所が分からないと。

私は病院の入口に息子くんを迎えに行き、自転車で追いかけてくれた事に感謝をしつつ、この子はもっと不安だろうにと自分を奮い立たせました。

それから何回も、鬼姑👹から場所の連絡がありやり取りをしました。


救命救急センターについて1時間弱が経とうとした時に、鬼姑👹が到着したと電話があり、私と息子くんで入口に迎えに行きました。

生死がかかってるから義妹も義弟も一緒に来るだろうと思ってましたが、鬼姑👹1人だけでした滝汗

こんな時まで私に会いたくないを優先する非常識な家族です!!

自分達の兄の生死がかかってるのに!

鬼姑👹に会うのは、私たち親子がシェルターに逃げてから初めてで8年ぶりでした。(息子くんは面会権が夫にあったので鬼姑👹とは年に数回毎年会ってました。)

久しぶりに会う鬼姑👹は、あんなに太ってたのに膵臓を悪くして痩せ、白髪が増え老けていました。

痛ましくも感じていると

👹「久しぶりやね!ほんで何処おるん?」


不安「まだ会えないんです!搬送されてセンター内で処置してて、私達は待合室で待つように言われてて、看護士さんも誰も居なくって状況が更に分からないんです。すみませんショボーン💦」


👹「こういう時はそんなもんやろ!大丈夫!そない顔せんでも大丈夫やから!」


この8年で何があったのか?

義弟の2度に渡る脳梗塞と後遺症?

鬼姑👹は、私をぎゅうと抱きしめてくれて、朝から1人で不安やろうに頑張ったね。偉かった!と褒めてくれ、息子くんをも抱きしめ3人で抱き合って、鬼姑👹がひたすら「大丈夫!」を繰り返しながら家族待合室に戻りました。

結婚前からこんなに打ち解けてたら嫁姑問題もなかったのに、夫が生死の境をさまよってる時に一致するとはショボーン魂


それから更に3時間待たされてやっと担当医の先生から私たちに説明(前の病院と同じだけど分かりやすく詳しく話されました。)があり、やっとみんなで夫と対面。

救命救急センターは入る家族も消毒や髪の毛を入れるキャップを被った覚えがあります。

入ると区切りのないベッドが沢山並んでて窓はなく、燦々とライトで照らし出されてました。

夫の下へ案内されましたが、意識は戻ってはいませんでしたが、予断を許さない状態から2-3日内に意識は戻るだろう山は通り越したと見てますということでした。

でも、夫の隣のベッドからけたたましい音がなって、何人かがサッと動きパーテーションを立て、AEDが運ばれるのと同時に私達家族は即外に出され、またもや家族待合室で待機することになりました。

夫の傍での滞在時間3分前後。

ウルトラマン並ですね💦

それから少しして看護士さん(救命救急の方)がいらして


ひらめき「夫さんと会える面会時間をお知らせ致します。救命救急センターでは1日に2回で10時と16時で1回15分です。また、明日お越しくださってもいいし、容態も安定してるとは言えないので不安でしたらこちらで待機なさるのも自由です。」


待機??

机と椅子があるだけでソファーでもなくパイプ椅子。

トイレと自販機が数台。

それでも、何かあるかも!!という不安で私達3人はそこで夜を明かしました。

意識不明のままなのに傍に付き添うこともできず、家族待合室で夜を明かし、次の日の10時に15分のみの面会。

夫は意識を取り戻すのだろうか?

そんな不安を持ちながら大きくなった息子くんに肩を貸して夜を過ごしました。


サムネイル

皆様が幸せを感じて過ごされますように✨

一日の終わりは笑顔で眠りにつかれますように✨

何の憂いもなく過ごされますように✨

そして、「いいね!」までありがとうございますおねがいラブラブ気づき

皆様が笑顔で過ごされる事をいつも祈っています✨




⬆年末年始何処か行きたいです⬆