チャランポラン代表のような
父が亡くなった。
私が中学卒業をしてからは
何度も転職をしては
スグに仕事を辞めて
定職について働くことをせず
車を廃車する時に
免許を返納させ
一時はアル中になり
兄が面倒みきれないと匙を投げ
私が居た姫路へ呼び引越しをさせて
こちらでお金の管理をしながら
色んな方法で面倒を見て
お酒の量のコントロールから
最後には強制的にお酒を辞めさせた。
アル中になる前に
タバコも辞めさせていた。
全て取り上げられた人生
自分で招いたこととはいえ
何も選択肢が無くなり
度々その環境に恨みがましい事を
周りの人間に言いながらも
本人的にはどうしようも無いと分かっていたのか
その状況を受け入れていた。
父の認知症が発覚した頃
次はいつくる?
今日来る?
ビールは?
あれが無いこれが無い
毎日の自分勝手な鬼電
私がしていた当時の自営の仕事も経営危機で多忙
自分のワンコの介護
その時の相方とのイザコザで
私はもう疲れ果ててしまい
見て見ないふりをするようになり。
どこか他人事のような。
その現実から目を逸らして。
その後は父に対して
必要最低限のことしかしてきていない。
最初の施設への入居をする前に
2度の引越しをして
段階的にデイサービスやヘルパーさんに
頼るようになり
父も嫌がっていたけど
週に何度か行くデイサービスへは
仕事の日やなって言いながら
自分の中で納得しある程度は
楽しみにしてる様子だった。
認知症が進行して
施設への入居を考える際に相談した兄からは
もう相談して欲しくない。
親子関係は破綻してる。
そう言われても、関係を終わらせず
私がのらりくらりと繋ぎ止めてきた。
施設へ入ってからは
どんどん認知症は進行し問題行動が目立つように
1つ目の施設からは追い出されるように
次の施設へ入ることに。
どこも、受け入れてくれる施設が無く
困っていた時に話を持ちかけられた施設。
すがるような思いで入居。
それから半年程で亡くなった。
体重は入居時から約15~20キロ程も落ち
骨と皮だけ。
部屋の様子は、異様な有様で
鼻を貫くような異臭とカビが生えていた。
施設のヘルパーさんには
毎日入ってもらっていたのに
そんな事が有り得るのか、、、、、
1番腑に落ちないのは
人の食事まで食べて困っていると言われていたのに
そこまでの体重減少。
しかも、問題行動は度々連絡してきていて
入居の前にこういう問題行動があると
全てお話ししていた時は、大丈夫ですよって
言ってたのを掌返したように、これが続けば退去してもらわないとならない。
そんな事は言ってきていたのに
体重の変化や体調については
何も言われていなかった事。
調べると高齢でも1ヶ月に2キロの減少があるのは
何かしらの病気や診断が必要で素人の私でも危険だと分かる。
提携していた病院での健康チェックもあったはず。
半年でそんなに体重が減り
重度の誤嚥性肺炎になるまで気が付かず
こんなになるまで
ほっといたなんて。。。
施設を責める気持ち怒りの気持ちに
震えましたが
見て見ないふりをしてきたのは私も同じだと。
1人で暮らしてる時や、最初の施設の時には
1年近く会ってないこともあったし
今の施設入居からは亡くなる直前までの半年間
会いにも行ってなかった。
私も同罪。
言葉と気持ちを押し殺した。
施設を責める資格は無いのだと。
救急搬送されたと連絡があり
最初にHCUで見た父の表情は苦痛に歪み
骨と皮しかない力ない身体
あうあうあうと朦朧として発せられる声
何かを伝えたいのか、、ただのうわ言か、、
目を潤ませ自分の状況に
恐怖と不安しかない顔をしてた。
もう。
苦しまんで欲しい。
主治医と話がしたい。
次の日、現実を突きつけられた。
認知症で重度の肺炎で体力も無い
一旦、持ち直しても予後不良。
1年持つかどうか。
年齢のこと、現在の状況考えても
延命処置は望ましくない。
このまま延命処置をやめたら
1週間ほどが限界で老衰に近い形です。
と、ドクター。
自分で食べられない
動けない
認知症も重度
栄養を流し込まれ
水分を点滴され
排尿、排便も管から垂れ流し
ベットで暴れるからと
手足を縛られ。
自分の意思では何も出来ない。
そんな意思もない。
3回目の面会。
兄が来てくれた。
延命装置や鼻から栄養を入れる管も
全て外されて酸素吸入だけ
看護師さんいわく
ゼリー状の飲水とゼリー状の食事は
口に入れてもらえば少し食べられている様子。
天井を見つめるだけの目。
話しかけたら、少しは応答する。
お兄が「あなたの息子やで」
私が「娘やでー涼子やで」というと
「おれの息子は男前や」
「おれの娘はべっぴんさんや」
理解してるのかしていないのか
それが会話できた最後の言葉。
お兄が、亡くなったあとのことやお金の話を
病室でしそうになったから
慌てて兄を連れて部屋から出た。
その話しがしたくて来たんか。
というか、いくら認知症で朦朧としてても
意識あって受け答えできるオトンの前で
そんな話しするのはデリカシー無さすぎて
嫌気がさした。
出来るなら苦しみは最小限に
限りなく老衰で最期を迎えて欲しい。
ドクターと話した時
「延命処置は望みません。心臓停止後も蘇生は望みません。」
この言葉が、オトンに対しての
最後の責任と、せめてもの思いやり。
そう言い聞かせた。
こんなになる前に
大好きなビールを飲ませてやりたかった。
後悔ばかりが残る。
せめてもの献杯。
吐き出すため
自分の為に記録した。





