今母の入院する病院へ向かってます。

母の手術から今日で3週間が経つ。
3週間前の今日の今頃の時間、母は手術室に入った。

6月始めに地元で癌転移を告知され、手術も難しいと言われた。
その時は母と私二人で聞きに行っていた。

無事に手術を終えた今でも、医者に告知されたあの瞬間を思い出すと号泣してしまう。
それほどショックが大きかった。

二人の姉達は「辛いけど、本人が無理して治療するより、緩和ケアという方向もあるよ…。本人のしたいようにさせよう。」と言った。
特に長女は看護師を長年していたこともあり、抗がん治療、手術の辛さやQOL低下も見てたから、緩和ケアの方を考えていたと思う。
でも私は断じて諦めたくなかった。

ひとり必死で情報を集める日が続いた。

そして見つけた大阪の名医。
人気で手術は予約待ちといわれていたので、『これ以上長引いたら母の体力がもたない…』と半ばダメもとでコンタクト取ったのが6月末。
まずは私のみで代理受診をした。
そしたら「早ければ8月頭に手術できるかもしれない。早く本人連れて受診させなさい。」との言葉。
藁をも掴む思いだったので本当に嬉しかった。

そしてこの報告に実家の家族は喜んだ。

何より本人が喜んだのだ。
告知された時は意外と冷静だった母。

でも平気な振りして本当は物凄くショックだったということが、後の同居する姉からの電話で分かった。
「大阪の名医にコンタクトが取れたの分かった途端、お母さん急に明るくなって、いつもの元気な前向きな状態になったけん!!」と連絡あったのだ。

聞くところによると、本人はいつ余命を医者に訊こうか迷っていたらしいと言う。
私は電話切った後、会社のトイレでまた号泣してしまった。

『やっぱり生きたかったんだよね』と心の中で母に言いました。

確かに‘生き抜く’のも‘穏やかに死にゆく’のも、選ぶのは本人。
だけど周りは少なくとも‘生き抜く’チャンスを与えなくてはいけないのではないかと思った。
だって本人は告知された時点で‘生き抜く’チャンスを探す力は相当落ちているから。

周りが探して、そして生と死のいろんな選択肢の中で本人が最終的には決めればいい。

そう思ったのでした。