私は奴隷です | 静寂のブログ

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握りしめた過去を繰り返し生きることなく

まだ来てもいない未来を妄執することなく

「今」を生きる

そこから私たちは共生を知覚します

その実感こそが平和

あなたの内側が平和でなければ

世界に平和はのぞめない

私は奴隷です

うん、はじめから奴隷だと認めてしまえばいいんじゃないのかな

そしたら、無駄なエネルギーを費やして

どこそこのバカ首相が、とか

日本の政治はすべて茶番だとか言わなくていい

着地したいところまで、無駄なエネルギーを使わずに

自然の追い風にのって、辿り着けばいい

私たちは生まれた時から奴隷として位置付けられている

そうでなければ説明のつかないことの連続性の中に

私たちは埋もれている

神様というのが、「生命が存続することを無条件に許し、生かし続けるもの」とするならば

私たちの神様はどう考えても

私たちを生かす大自然すべてだ

これはどうしても動かせないことなんじゃないのかなあ

どんなに高尚な理論があったって

どんなに愛だ慈しみだいったって

水がなくては、太陽がなくては、山々がなければ

動物たちが、虫たちが、菌類たちが、酸素が、、、、

あらゆるものたちがいなければ

私たちは、生きていけない

そこすっとばして、私たちは一体どこに向かってる?

神様を殺すことを「便利」といい

神様を殺しても無感覚になることを「効率がいい」という

どうしてしまったんだろう

お金がなくては生きていけない社会をつくったのは誰だ?

お金がなくては卑屈になる社会をつくったのは誰だ?

「愛」や「平等」はどこいった?

お金を前にすると

とたんに影が薄くなる「愛」や「平等」にどんな意味があるんだろう

お金のサイクルは、自然発生したのではない

完璧なモデルがあって、作り上げられた世界

それは、奴隷を奴隷らしく

がんじがらめにしていくシステム

戦争という「奴隷同士殺人ゲーム」

私たちは、生まれた時から、知らぬ間にそのゲームに投資させられている

「正義」「愛」「平和」と叫びながら

なんの罪もない子供をなぐり殺しても

許される法律のもとにいる

その法律のおかげで、戦争というゲームで儲ける人たちは

何千年も「お金」を蓄え続けている

そんな法律をつくったのは誰だ?

お金がたくさんあると天国にいけるという

お金がないと地獄にいくという

お金がたくさんあるといい医療が受けられるという

お金がないと医療が受けられないという

お金があると福祉が受けられる

お金がないと助けてもらえない

「愛」ってなんだろうね?

私たちに「自由」や「愛」や「平等」「平和」が世界に存在すると思わせているものこそ

私たちを私たちの望まない方向へ誘引しているものなんじゃないのかな

この言葉たちの存在する意味を

真剣に考えなければいけない時期に私たちはいる。

この言葉が産み落とされたからくりを

誰か解ける人はいますか。

インディアンはどうして殺されたの?

アボリジニはどうして殺されたの?

誰が麻薬をつくっているの?

誰が人を殺す道具をつくっているの?

誰が農薬をつくっているの?

誰が添加物をつくっているの?

誰がプルトニウムを必要としているの?

誰が宗教を破壊しているの?

誰がワクチンをつくっているの?

誰が製薬をつくっているの?

誰が遺伝子組み換え種子を、不妊種子をつくっているの?

誰が情報を操作しているの?

誰が自然の流れに沿った医学を、栄養学を、薬理学を、心理学を

宗教を、教育を、家族の形を、性の形を、覆い隠し続けているの?

誰がなにものもを傷つけずに生み出される持続可能なエネルギーを

隠し続けているの?

誰が、奴隷たちに偽物を本物にみせるためのシステムをつくっているの?

誰が、奴隷たちに本物を与えない世界をつくっているの?

どうして私たち奴隷は

「仕事のような仕事」を「食べ物のような食べ物」を

「医療のような医療」を「教育のような教育」を

「政治のような政治」を「平和のような平和」を

「福祉のよな福祉」を

「愛のような愛」を

喜々として、執着し、渇き続けているの?

どうして多くの人が、何千年も騙され続けているの?

どうして多くの人が、このまま騙されたいと望んでいるの?

すべてには、ちゃんとからくりがある。

私たちは、はじめから、本当にはじめのはじめから

原始的な感覚が生まれる場所から

寂しいとか悲しいとか、嬉しいとか、楽しいとか

満たされてるとか、孤独だとか

そういう言葉にもならない感覚的なところから

もうすでに、奴隷なんだとおもう

人間の無意識を研究している機関が腐るほど世界中にある

そんな情報は表に出てこない

奴隷を統率するための研究を

何千年も繰り返してきている機関がある

何千年も前から、私たちは一生懸命

奴隷同士で、傷つけあっている

支配する側の思い通りに

私たちは誘導されている

原始的な感覚から、思い通りに動かされている

どこかでまたテロが引き起こされた

どこかでまた飛行機が撃ち落された

どこかでまた不自然災害が引き起こされた

どこかでまた・・、計画通りに「テロ」や「災害」が引き起こされる

条件づけられた奴隷たちは

「正義」「愛」「平和」「平等」「愛国心」

そういうパスワードを妄想の中に埋め込んでスイッチがオンになる

そして、それを盾にして

あらかじめ刷り込まれた

「憎まれるべき相手」「罰せられるべき相手」を探して

「倒せばきっと自分が楽になる」というつくられた妄想に誘導されていく

私たちは、なんて優秀な奴隷たちなんだろう

国という単位はどうしてできたのか

自分が奴隷を統率する側になったと想像してみるといい

夢物語を手放して

あるがままを観る静けさを養いたい

私は誰かを裸の王様だと叫ぶ前に

自分が丸裸にされていることに

気づかなければならない

どこまでも奴隷になっていたのだと

そこから、一歩目がはじまる気がする

奴隷に与えられた情報に

どんな意味があるか、静かに見据えていく

「信じる」なんていう言葉は綺麗に着飾った危険な言葉

奴隷の私に与えられた「信じる」という意味は

誰かに責任転嫁すると同義

疑うは信じるの反対語ではない

疑うというのは、自分に責任をもつことだと思う

自分自身と、静かに、能動的に

向き合うことだと思う

自分の真の奥の奥に

すべての答えが整っている

無意識層の妄想や癖を手放し

あるがままになれたその先に

「支配される側と支配する側」以外の社会を求められる生命体として

人間が存在できるのか想像していきたい