うつ病になって辛いこと。
たくさんあります。
あまりにも酷いと気が狂いそうになるというのもよく分かります。
その強さは自己虐待と言えるほどです。
具体例を出します。
冬、外は寒く誰もが家の中で暖かくして過ごしたい季節。
僕はうつ病で休職中のため、妻や子どもが出勤ないしは登園するのを見送り、家の中でぬくぬくと過ごします。
「うつ病なんだから仕方ないよ」という天使の声が聞こえるかと思いきや、それ以上の声で「『うつ病』なんていい口実をみつけたな」「単なるサボりじゃあないか」「皆頑張ってるのにお前だけ楽してるな」と悪魔が囁きます。
僕はその声をかき消すために必死にスマホゲームに熱中します。
そして疲労した後に眠りにつき、自分がこの世に存在してもいいことを証明するために、妻や息子が帰るまでにコツコツと家事をこなすのです。
「正統に苦しみたい」
むしろそこまで重篤であることは悲しむべきことのはずです。
しかし、僕のような軽度のうつ病患者からすると、そうした誰の目からみてもうつ病という状況を羨ましく感じることがあります。
もちろん、そんなふうに症状を悪化させたいとは思いませんし、実際に苦しまれている方を前にすると口が避けてもそんなことは言えません。
ただ、僕は迷っているのです。
苦しんでいいのかどうか。
うつ病は外傷性のものではないので、見た目で病気があるとは分かってもらえません。
だからこそ受けられる配慮を得られなくて苦しむということになるのですが、それ以上に苦しいのは「うつ病かどうかは自分にも分からない」ということです。
明らかに重篤であれば分かるのでしょうが、うつ病ボーダーや軽度のうつ病だと、自分が病気であると認められなくなります。
たくさんあります。
まず、思考障害。
考えがまとまらなくなります。
よく「頭に霧がかかったような」という表現をされますが、言い得て妙だと思います。
それに僕なりの表現を付け加えるなら、脳が締め付けられるような感覚があります。
「頭」ではなく「脳」です。
考えるな考えるな、と脳が指示しているのでしょうか。
あまりにも酷いと気が狂いそうになるというのもよく分かります。
次に辛いのが自己嫌悪です。
その強さは自己虐待と言えるほどです。
具体例を出します。
冬、外は寒く誰もが家の中で暖かくして過ごしたい季節。
僕はうつ病で休職中のため、妻や子どもが出勤ないしは登園するのを見送り、家の中でぬくぬくと過ごします。
「うつ病なんだから仕方ないよ」という天使の声が聞こえるかと思いきや、それ以上の声で「『うつ病』なんていい口実をみつけたな」「単なるサボりじゃあないか」「皆頑張ってるのにお前だけ楽してるな」と悪魔が囁きます。
僕はその声をかき消すために必死にスマホゲームに熱中します。
そして疲労した後に眠りにつき、自分がこの世に存在してもいいことを証明するために、妻や息子が帰るまでにコツコツと家事をこなすのです。
「正統に苦しみたい」
僕が昔から言い続けていることです。
もちろん、他者からみても明らかにうつ病だと分かる状態というのは決して良いことではありません。
むしろそこまで重篤であることは悲しむべきことのはずです。
しかし、僕のような軽度のうつ病患者からすると、そうした誰の目からみてもうつ病という状況を羨ましく感じることがあります。
もちろん、そんなふうに症状を悪化させたいとは思いませんし、実際に苦しまれている方を前にすると口が避けてもそんなことは言えません。
ただ、僕は迷っているのです。
苦しんでいいのかどうか。
うつ病は外傷性のものではないので、見た目で病気があるとは分かってもらえません。
だからこそ受けられる配慮を得られなくて苦しむということになるのですが、それ以上に苦しいのは「うつ病かどうかは自分にも分からない」ということです。
明らかに重篤であれば分かるのでしょうが、うつ病ボーダーや軽度のうつ病だと、自分が病気であると認められなくなります。
つまり、苦しんでいいかどうか分からないのです。
今自分にかけたい言葉があります。
「あなたはうつ病です」「しばらく休みましょう」「元気が出たらまた働けばいいんだから」「自分を一番大切にしないといけないよ」
僕はようやく少しずつ自分がうつ病であることを受け入れ始めています。
そして、妻や息子、両親や職場の人に感謝しています。
