后妃テオドラが逃げ腰になったユスティニアヌスに投げかけた言葉は次のようなものである。

「たとえそれによって命ながらえるとしても、いまは逃げる時ではない。皇帝たりし者が亡命者の身たることはできない相談である。私も、出会う人々が私に向かって『皇后陛下』と呼び掛けないような日々を送りたくはない。逃亡すれば身の安全が得られるとしても、果たしてそれは命と引き替えにしてよかったといえるようなものだろうか。私は古(いにしえ)の言葉が正しいと思う。『帝衣は最高の死装束である。』」(戦史)

テオドラの出自は農民であったユスティニアヌスよりもずっと酷いものであったといわれる。

踊り子であったテオドラは、どうやら娼婦めいたこともやっていたようである。



テオドラ

ビザンツ帝国に新たな息を吹き込ませた権力が皇帝・皇后供に下層階級の出身であったことは驚くべきである。

踊り子出身であったテオドラにこのような誇り高き激励が出来たということはまさに奇跡である。

テオドラに叱咤されてユスティニアヌスは気をとりなおす。

ユスティニアヌスは、将軍ベリサリウスに命じて、軍隊を暴動する市民に突撃させ、三万人もの市民を大虐殺した。

前代未聞のことがなされたのである。

民衆が暴動を起こすことが常態化していた当時のビザンツ帝国であっても、軍隊を直接市民に突撃させたことはかつてなかった。

襲撃されたのは常に首謀者や先導者であった。

この大虐殺は、古代ローマ以降続いてきた古代民主政にとどめをさした。

衆愚へと堕落した民主政は、この事件以降完全になりを潜めることとなり、皇帝専制体制が構築される大転換期となった。

ユスティニアヌス大帝は、自己の保身のためにこのような行動をとったのであろうが、結果としてそれはビザンツ帝国に新たな理想を吹き込む契機となったのである。

いまや皇帝は民衆の道徳的堕落につきあわなくてよくなった。

事実、ユスティニアヌス大帝は、民衆に媚びるために戦車競争のあるひとつのチームを支持してみせていたらしいが、彼自身は民衆の狭隘な理想にかかずらっている気は到底なかったようである。

彼の理想はもっと高いところにあった。


つづく