「薬物を所有し、使用していたという理由で逮捕される。芸能界はそういう『ダーティ』な世界だ。」
そう思われたくないから自分は一人の芸能人として、薬物検査を受けて「クリーン」であることを証明したい。
たとえそれが一人だけの行動だとしても、自分はこうした行動、すなわち、芸能人一人一人が「自分たちは商品である」というプロ意識を持って「クリーン」であることを証明することが、芸能人のイメージ浄化に寄与すると信じる。


一見英雄的にすら見える意見であるが、この議論は短絡的である。

「薬物を所持せず、使用していないこと」=「クリーンである」とでも言わんばかりに。

薬物検査をして分かることは、薬物に関しては「クリーン」であるということに過ぎないはずだ。
当然のことだが、他の「ダーティ」な面が浄化されるわけではない。

僕はここで「芸能人=ダーティ」という詰まらない図式を示したいわけではない。
「クリーン」と「ダーティ」、この両者の葛藤の中で常に平衡をとり続けようと努力することが、人間の条件だ。
程度の差こそあれ、いずれか一方しか存在しないという考えはあまりに馬鹿げているし、何より面白くない。

しかし、ここで気に入らないのは、「クリーン」であることの証明方法だ。
芸能人が「クリーン」であることを自ら証明する義務がある、というのはあくまで個人的信念である。
もちろん発言では、こうした行動を他の芸能人に求めるつもりはないという趣旨のことが述べられてはいるが、そうしたフレーズを挿入することで、報道記事は異様な力を持つことになる。
「こうした報道を見て、それでも薬物検査をしない芸能人は『ダーティ』なのではないか?」と。

また、こうした行動をとれるのは、自身が薬物に関しては後ろめたさが微塵もないためであって、こうした行動は全く英雄的でないと思う。
要するに、不倫を公然と断固として否定・批判する姿勢と同様なのだ。
現在のところ、後ろめたさがない。
それが彼らの発言に権威を持たせ、世間に「薬物はダメだ」「不倫は罪だ」という同調圧力を発生させているのではないか。

※念のため補足するが、僕は薬物や不倫を肯定しているわけではない。道徳的に批判されやすいものを題材にして潔白を証明する、その態度を批判しているのだ。

繰り返しになるが、こうした行動には何ら勇気が必要ない。
そして、容易く世間の支持を得られる。
僕にはこうした発想の方が「ダーティ」に思えるのだが。

しかし、もしこうした行動が、僕がここまで述べてきた効果を意図せずして行っているのだとすれば?

それこそ一層、罪である。
思慮が足りないことは恥じるべきことではない。
本当に恥じるべきことは、自分には思慮があると信じ込むことだ。