中野剛志氏の新刊『富国と強兵』、600頁近くにもなる大著だが、ようやく読了。
内容はといえば、中野氏のこれまでの著作、『レジーム・チェンジ』『資本主義の預言者たち』『保守とは何だろうか』『世界を戦争に導くグローバリズム』等の要素をすべて含んだ、まさしく集大成的な書物であるように思われた。
本書が重要なのは、そのうえで中野氏が新たな学問分野―それを「地政経済学」という―を開拓しようと努めているところであろう。
多くの知識人らの学説を踏まえつつ、本書が見せてくれる世界は、経済学と地政学、いわゆる「富国と強兵」が不可分の一体となって発展してきたという人類史の壮大な過程である。
驚くべきことは、現代私たちが当然のように享受している多くの文明的産物は、その起源を戦争にもつという事実である。
「我々の経済的繁栄は、先人の流した大量の血で贖われているのである」(586頁)。
戦争には「勝利」という目的があり、集団行動はその目的へと向けて方向づけられる。
その過程で、権力は多くの統制的手段を得ることになるのと同時に、それによって獲得した技術や知恵は、戦争後にも活かされることになる。
戦時から平和時へ、いわゆる「スピンオフ」が発生するのである。
そのようなことが明らかとなってきた今日、軍事と経済(「富国と強兵」)を切り離して考えることは余りにも愚かしいであろう。
本書が開拓を唱える「地政経済学」は、まさしくそうした問題意識に基づいており、この切り離された二つの学問分野(経済学と地政学)を改めて統合することによって、学問の全体性を復権しようとする試みであるといえる。
「改めて」や「復権」という言葉を使った理由は、まさしくそれが過去において既に提示されていた学問分野であったからにほかならない。
中野氏によれば、その開拓者というのが、ハルフォード・マッキンダーであったというわけだ。
そのため、本書は、故人の偉大な知性に基づいていることに違いはないのだが(氏も繰り返し、そのように述べている)、忘れ去られたその知性を改めて現代の内に活かすことを提案するその努力は、並大抵のものではないと感じさせられるのである。
「富国と強兵」を切り離して考えようとしてきた(している)現代に積み上げられた多くの知性的な瓦礫の山を片づけ、ならしていく思想的作業は、それを行なうだけでも既に多くの知的貢献をなしているといえよう。
また、附言しておかねばならないのが、戦争と経済的繁栄が密接に結びついていることを洞察したからといって、本書は決して次の戦争によって新たな繁栄を期待するものではないということを強調しておかねばならない。
中野氏の指摘によれば、「金融階級による支配構造」は、かつての世界大戦の時以上に強固になっているのであり、それはおそらく新しい戦争によってすらも是正されることはない。
「ピケティは、二十一世紀に入って著しく拡大した富の格差を是正するためには『ひたすら次の危機や次の大戦を待つしかないのだろうか?』と嘆息したが、それすらも楽観に聞こえる。二十一世紀の戦争は、もはや格差を是正する機会を与えはしないのである」(522頁)。
本書では、ケインズをやコモンズをはじめ、多くの経済思想を俯瞰し、次の戦争という悲劇を避けるために、安全保障政策と経済政策の平和時における統合の可能性を示唆したものなのである。
そのため、次なる繁栄のための戦争遂行といったような幼稚な提案を本書が行っているというのは、大きな誤りとなるであろう。
終章では、『富国と強兵』の中で主張されているような考え方を現実に適用することが、果たして可能であるかどうか、悲嘆を込めて語られている。
人間集団の経路依存性、すなわち、ある方向に向かわせる大きな力は、個人の意志や努力を容易に押し潰してしまうほどに大きい。
事実、二度の大戦の前にも、それを防ぎうる知恵を提示していた先人たちは、マッキンダーやコモンズ、ケインズをはじめ、少なからずいたのである。
しかし、僕としては、こうした偉大な努力や知性がまだ残っているということに、わずかながらも希望を持ちたいと思えるようになった。
最後に、本書は学術的な大著でありながら、(そのわりには)大変読みやすいと思われる。
実際、普段から中野氏の議論をある程度知っていたとはいえ、僕のような経済の素人―恥ずかしながら、本当に何も知らないのである―もなんとか読み進めることが出来たのは、氏の丁寧な議論のおかげであったのであろう。
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