「保守主義」という言葉は、日本においては負のイメージでもって語られることが多いと思いますが、それは保守主義者を伝統に囚われて進歩する術を知らない人たちと見なしているからにほかなりません。

正確な引用ではないのですが、アメリカの大統領であったフランクリン・ルーズベルトは保守主義者のことを「素晴らしい2本の足を持ちながら前進していくことを知らない人たち」と評していたように思います。

日本における保守主義理解も、このルーズベルトの解釈とさほど変わらないものなのではないでしょうか。

保守的な考え方それ自体としましては、いつの時代にもあったのでしょうが、思想としての保守主義とは近代になって初めて現れてきたものなのです。

フランス革命、この大革命は人類の歴史上に未だかつてなかった全く新しい革命でした。

「自由」「平等」「博愛」を掲げて起こされたこの革命は、抽象的な原理でもって、歴史的なものを大破壊するという暴挙に出たのでありまして、こうしたことは実に人類史上新しい現象であったのです。

フランス革命のこうした性格にいち早く気づいて激しい革命批判を行ったのが、保守主義者の祖とされるエドマンド・バークです。

バークは、自分たちの力だけで最初から権力をつくりあげようとしていたフランス革命の指導者たちを、自尊感情をなくした傲慢な人間、生きていくための知恵を喪失した人間であると指摘しました。

歴史を圧殺して現代人だけで創造を行おうとすることは、自らを形成している歴史を冒涜したものであり、それゆえに彼らは自尊感情を失っているのです。

実は、人間は歴史的な相続なしには立ち上がって歩くことすら出来ないのです。

例えば、50歳の大人がこれまでの経験や知識を破壊するとします。

すると、50歳の赤子が誕生するわけで、やはりその人は進歩どころの騒ぎではなくなるでしょう。

そうしたことからバークは、「偏見(prejudice)」の擁護を行いました。

「偏見」、これも日本においてはマイナスのイメージで捉えられてしまうのですが、バークは「偏見」なしには人間は生きていくとが出来ないと考えます。

Prejudiceは文字どおり「予め判断されている」ということですが、こうした「偏見」のコレクションを人間は沢山有しているがために常時においても非常時においても、考え込んで動けなくなることが少なくなるのです。

もちろん、こうした「偏見」には悪習も含まれていることはバークには理解されているのであって、ここで提起されるのは、人間が未来に前進していくに際して何もないところから新たに始めることは必ずや破局をもたらすので、こうした「偏見」に理性的に価値解釈を与えながら進歩を目指す方がはるかに現実的ではないか、ということなのです。

保守主義とは悪習に凝り固まった態度ではく、人間が全うに進歩していくための知恵であると言えます。

本書では、エドマンド・バークに始まる保守主義を概説的に解説してあり、非常にいい本だと思います。

ただ、著者が西洋政治思想の専門であることからなのか、日本の保守主義に関する言及は大きく説得力を欠いているのではないかと思いましたので、そこは少し評価が下がってしまうところになります。

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