最近ユスティニアヌス大帝への関心が高まっている。

ユスティニアヌス大帝はビザンツ帝国(東ローマ帝国)における最も有名な皇帝である。


ユスティニアヌス大帝


ビザンツ皇帝という巨大な権力にまでのぼりつめたユスティニアヌスの出自は随分怪しいものであって、どうやら彼の出身は農民のようだ。

ユスティニアヌスを出世させるのに貢献した彼の叔父、皇帝ユスティヌスもユスティニアヌスと同じく農民出身であったらしい。

この事実をもってしてビザンツ帝国が「開けた社会」であったと断言することは難しいが、どうやら身分的な流動性はそこそこ高かったのかもしれない。

さて、この皇帝がなぜ偉大かというと、それはユスティニアヌスが非常な理想家であり、エゴイストであったということにある。

彼の理想は、分裂して滅び去ったローマ帝国を再び統一して復興させることにあった。

そのためには巨額の軍事費が必要であり、ユスティニアヌスは市民への税金を随分と上げた。

当然コンスタンティノープルの市民の不満は高まり、それはニカの乱という形で爆発したのである。

この大反乱に触れる前に、当時のコンスタンティノープル市民の生活について触れておかなければならない。

古代ローマ帝国の中心であるイタリアを含む西ローマ帝国は既に滅んていたが、そのときからの悪習であった「パンとサーカス」は依然としてその東方であるビザンツ帝国(コンスタンティノープル)で続けられていた。

「パン」とはビザンツ帝国の属州であったエジプトから運ばれてくる小麦のことを指し、コンスタンティノープル市民はこうした属州を搾取することで食を得ていた。

また、「サーカス」とはもっぱら競技場での戦車の競争のことであり、そこで活躍した人は市民から大きな名誉を与えられたとのことである。

この「サーカス」はコンスタンティノープルでも大変な人気があり、市民は政治への関心はそっちのけで、こうした「サーカス」にばかり熱中していたようである。

こうした「パンとサーカス」に日々明け暮れていたのが当時のビザンツ帝国の実情であった。

歴史は繰り返すというが、まるで現代を彷彿とさせるような状況ではないだろうか。

ニカの乱は、こうした状況の中でただ一人理想に燃えていたユスティニアヌスに対する市民の反発であった。

そして、市民の反発に乗じたのが、同様にユスティニアヌスの野望に反対していた元老院議員ら貴族であり、市民らに合流した彼らは新たな皇帝を立てようとし、ユスティニアヌスに退位を迫った。

市民全体を敵にまわし、身動きがとれなくなってしまったユスティニアヌス大帝は退位して帝国から逃亡することを考えたほどであったという。

それをひき止め、ユスティニアヌスを叱咤激励したのが后妃テオドラであった。


つづく