ネチャーエフ事件で殺害されたイワン・イワノフをモデルにした人物がシャートフである。

シャートフは、スタヴローギンの影響を受けて熱烈なロシアメシアニズムの信者に、すなわち、正教を信仰しており合理的思考に蝕まれていないロシアこそが世界を救済しうると考えるようになったのだが、恐らくこれはドストエフスキーの考えを代弁したものなのではないかと思う。

そして、シャートフは神秘を、神を熱烈に信じていて、ロシアという土壌にしっかりと根差した「正気」の人間なのである。

恐らくドストエフスキーは、狂気の時代(近代)には正気の時代(神秘ある時代)の人間は抹殺されざるをえないということを読者に示してみたかったのではないかと思う。

ロシアの神秘、それは正教への信仰である。

合理性を追求する近代はそのような非合理的な神秘主義を必然的に斥け、人々を神秘から遠ざけていくのである。

しかし、ドストエフスキーの考えでは、人間は神秘なしでは生きることが出来ないのである。

歴史意識を醸成した伝統をないがしろにすることは、人間性を完全に崩壊させ、ピョートルやスタヴローギンのような人間を生むことにつながる。

伝統に無関心である今日的人間は、皆ピョートルやスタヴローギンを小粒にした人間なのかもしれないと思う。

伝統、ドストエフスキーにとっては正教という神秘を逸脱しようとすることにより、人間は無際限の自由を手に入れることが可能になる。

すなわち、「もし神がいなければあらゆることが許される」のである。

しかし、人間はそのような自由には決して耐えることが出来ない。

待っているものは虚無の深淵のみである。

伝統によってなんらかの規制を受けなければ人間は真っ当に生きることが出来ないということをドストエフスキーは『悪霊』で表現しているのではないだろうか。



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