きっかけ
お疲れ様です。
本日、ギターインストのライブに浸って来ました。
てか、先輩方のギターにしばかれて来ました。
もう、凄いなぁ。。。
ISAOさん上手すぎるだろ!!
小林さん相変わらず上手すぎるだろ!!
足立さんセンス良すぎるだろ!!
あー、、、
まだまだだな、自分
って当たり前の事を想いながら帰宅です。
毎回毎回、誘ってくれてありがとうね!スケさん!!
マジ感謝です!!
良い男だよ!君は!
はい。
今日は3.11ですね。(でしたね)
千葉県在住で
正直、大した被害もなく
今の今まて生きてきたけど
この日は絶対に忘れられない1日
あの日
あの震災で感じた
恐怖
悲しみ
無力
当時サービス業をやっていた時に襲ってきた大きな揺れ
出来る事は
店に来ていた客を机の下に誘導し
揺れが収まった時に外へ避難させる事
ただそれだけしか出来なかった
平気を装っていたけど
不安と恐怖しかなかった
普段、電車で20分の場所なのに
帰宅に5時間以上かかった
その間、車のラジオから流れる地震の規模
津波の被害
帰宅中になる携帯の緊急地震速報
帰宅後にテレビで観た被害状況
液状化した自宅近く
何が何だか分からない
自宅マンションも壁が剥がれ
ひび割れている
断水した水道
いつもより暗い街並み
連絡の取れない仙台の身内
一つ一つの事が今もまだ鮮明に蘇る
毎晩毎晩緊急地震速報で起こされる為
ほぼ一ヶ月の睡眠時間は2、3時間
そんな毎日を過ごす中
どうしても被災地の様子が気になって
毎晩テレビで
携帯で
情報を集める毎日
その度に思う事
「音楽って必要なのか?」
沢山の有名なアーティスト達が
支援の為に動いてる
本当に素晴らしい事だし
本当に人間らしいなって
本当に嬉しく思える事だった
そんな中
俺は音楽をやる意味が見出せなかった
震災前
自分の夢とか
自分の未来とか
そんな事ばかり気にしていた毎日
そんな自分が気持ち悪く思えてきて
何の為に
何も出来ないのに
俺みたいなクズが、姑息に生きててどうすんの?
そんな事しか考えられなかった
twitterや当時のBlogにも
色んな事を書いていた
あえてギターの事を書いたり
音楽の話を無理やり書いて
自分の気持ちを保つ事に必死だった
そんな自分が本当に嫌になって
音楽を辞めて
東北に行こうかなって
残りの人生
人の為に何かやらなきゃって
思い始めてた
音楽で食べて行く事
立ちたかったステージ
その気持ちの大半は
自分の為
そんな奴の音楽なんぞ
誰にも届かない
やる意味がない
そう思い始めた時に
解散していた自分のバンドの音に触れる
この音楽で
何か出来るかな?って
自分の為でなく
本当に人の何かになれる音楽が出来るかな?
いや、そんな音楽がしたい!って
自分が出来る事を
誰かの為に全力で
そう思えたのは
あの日がきっかけ
被災地に何度も何度も顔だしたのは
今までの自分に
これからの自分に
誰かの為にやれる事を探しに行く事
被災地のその現状を
心と身体で感じて
その想いから生まれる全てを人に
少しずつでも良いから知ってもらう
自分の脳裏に焼き付ける
そして、音楽を通して繋ぐ何かを形にする事
目に見えない大切な何かを
作る、作れるきっかけになる事
そんな音楽を作っていく
残りの人生を
音楽に費やすなら
自分の為だけじゃなく
誰かの為に使う
立ちたいステージは
誰かの為に、最高の景色を見せる為のステージ
それを誓った2011年
この先もずっと変わらず
誰かの何かになれる音楽を
そんなギターを弾いて行きます
バンドであっても
一人きりの活動であっても
その想いは何も変わらない
共に前へって言葉は
あの日から生まれた感情の表れ
この先もずっと
共に前へ
この先も
俺に出来る復興支援をして行きたいと改めて誓う
この先も、誰かの何かになれる音楽をと誓う
5年は長く
5年はあっと言う間
何も終わってないし
何も始まってないのかもしれない
まだまだこれからの事
全てはこれからの事
本日、ギターインストのライブに浸って来ました。
てか、先輩方のギターにしばかれて来ました。
もう、凄いなぁ。。。
ISAOさん上手すぎるだろ!!
小林さん相変わらず上手すぎるだろ!!
足立さんセンス良すぎるだろ!!
あー、、、
まだまだだな、自分
って当たり前の事を想いながら帰宅です。
毎回毎回、誘ってくれてありがとうね!スケさん!!
マジ感謝です!!
良い男だよ!君は!
はい。
今日は3.11ですね。(でしたね)
千葉県在住で
正直、大した被害もなく
今の今まて生きてきたけど
この日は絶対に忘れられない1日
あの日
あの震災で感じた
恐怖
悲しみ
無力
当時サービス業をやっていた時に襲ってきた大きな揺れ
出来る事は
店に来ていた客を机の下に誘導し
揺れが収まった時に外へ避難させる事
ただそれだけしか出来なかった
平気を装っていたけど
不安と恐怖しかなかった
普段、電車で20分の場所なのに
帰宅に5時間以上かかった
その間、車のラジオから流れる地震の規模
津波の被害
帰宅中になる携帯の緊急地震速報
帰宅後にテレビで観た被害状況
液状化した自宅近く
何が何だか分からない
自宅マンションも壁が剥がれ
ひび割れている
断水した水道
いつもより暗い街並み
連絡の取れない仙台の身内
一つ一つの事が今もまだ鮮明に蘇る
毎晩毎晩緊急地震速報で起こされる為
ほぼ一ヶ月の睡眠時間は2、3時間
そんな毎日を過ごす中
どうしても被災地の様子が気になって
毎晩テレビで
携帯で
情報を集める毎日
その度に思う事
「音楽って必要なのか?」
沢山の有名なアーティスト達が
支援の為に動いてる
本当に素晴らしい事だし
本当に人間らしいなって
本当に嬉しく思える事だった
そんな中
俺は音楽をやる意味が見出せなかった
震災前
自分の夢とか
自分の未来とか
そんな事ばかり気にしていた毎日
そんな自分が気持ち悪く思えてきて
何の為に
何も出来ないのに
俺みたいなクズが、姑息に生きててどうすんの?
そんな事しか考えられなかった
twitterや当時のBlogにも
色んな事を書いていた
あえてギターの事を書いたり
音楽の話を無理やり書いて
自分の気持ちを保つ事に必死だった
そんな自分が本当に嫌になって
音楽を辞めて
東北に行こうかなって
残りの人生
人の為に何かやらなきゃって
思い始めてた
音楽で食べて行く事
立ちたかったステージ
その気持ちの大半は
自分の為
そんな奴の音楽なんぞ
誰にも届かない
やる意味がない
そう思い始めた時に
解散していた自分のバンドの音に触れる
この音楽で
何か出来るかな?って
自分の為でなく
本当に人の何かになれる音楽が出来るかな?
いや、そんな音楽がしたい!って
自分が出来る事を
誰かの為に全力で
そう思えたのは
あの日がきっかけ
被災地に何度も何度も顔だしたのは
今までの自分に
これからの自分に
誰かの為にやれる事を探しに行く事
被災地のその現状を
心と身体で感じて
その想いから生まれる全てを人に
少しずつでも良いから知ってもらう
自分の脳裏に焼き付ける
そして、音楽を通して繋ぐ何かを形にする事
目に見えない大切な何かを
作る、作れるきっかけになる事
そんな音楽を作っていく
残りの人生を
音楽に費やすなら
自分の為だけじゃなく
誰かの為に使う
立ちたいステージは
誰かの為に、最高の景色を見せる為のステージ
それを誓った2011年
この先もずっと変わらず
誰かの何かになれる音楽を
そんなギターを弾いて行きます
バンドであっても
一人きりの活動であっても
その想いは何も変わらない
共に前へって言葉は
あの日から生まれた感情の表れ
この先もずっと
共に前へ
この先も
俺に出来る復興支援をして行きたいと改めて誓う
この先も、誰かの何かになれる音楽をと誓う
5年は長く
5年はあっと言う間
何も終わってないし
何も始まってないのかもしれない
まだまだこれからの事
全てはこれからの事