宮城二日目 | ギター弾き OZ

宮城二日目

今朝方、関東に戻って来た








今回の訪問予定は



石巻



女川



南三陸



気仙沼



と、行く予定だったんだけど





結局、使える時間全てを石巻で過ごした



まず、今回どうしても訪問したかった場所が3つ








そのうちの一つに、一番最初に行って来た










石巻市釜谷にある




石巻市立大川小学校










児童の7割



教員の8割の方々が津波で亡くなった小学校












仙台から石巻へ向かう途中、ほとんどが山道で



途中通った松島辺りに、津波の被害を確認出来たくらいで



その他ではあんまり被害の確認が出来なかった



山道を抜け、段々と田舎の細い道になって来て



その隣に大きな川が流れてて



のどかだなって思ってたけど...





やたらと



「堤防工事中」



の看板が目に付くようになって来た








さらに進むと、ガードレールが折れ曲がってたり



船が陸に押し上げられてたり



宮古で見たのと同じ光景が見えて来た






でも、宮古では家の基礎だけが残ってたり、家の痕跡が何かしらあったんだけど、その地区からは見当たらない





のどかな田舎風景だったから、きっと畑なのかな?って勝手に安心してた












その先を進むと、明らかに道路をかさ上げしてて、瓦礫っぽいものが学校の運動場に山積みされてた





ガードレールもなくなり、ロープだけ








さらに進むと、一つの集落があり



昔ながらの木造の建物が、ほとんど被害なく健在してた



生活されてる様子だし、あの瓦礫は一体?って感じになってた








その集落を超えると、大きな橋が見えてきた



そして、その周りは何にもなく



畑のような感じ



その橋に近付いた時、大きな建物が見えた




何て言えば良いのかな...

とにかく、言葉で表しようのない状態になってる小学校



小学校以外の周りの建物は一切なく




ただ小学校だけが残されてる状態






家の基礎だけとかではなく、それすらもない状態






今回も何枚か、記録用として写真を撮りましたが・・・






学校そのものの写真は掲載しません








震災前の学校の様子




震災後の学校の様子




ネットで確認出来ると思います






出来れば、現地に行って




自分の目で確かめて欲しい・・・






あの日、沢山の幼い命が奪われたこと・・・




楽しいはずの学校の今の姿










ただ、現地を訪問する際の注意事項を






実際に、鎮魂碑がありますが




お供え物として、お菓子やジュースは辞めてくださいと書いてあります






そして、遺族の方々や関係者の方以外は、学校内への立ち入りは禁止です








毎日、遺族の方や関係者の方、ボランティアの方が




鎮魂碑の手入れをされてます






俺が伺った時も、ボランティアの方が




鎮魂碑の周りに、造花の桜で飾り付けをされていました




本当に、手入れの行き届いた鎮魂碑ですので、それを汚す訳にはいかない






ただただ手を合わせ、祈りを捧げるだけでも構わないと思います










本当に、辛いです・・・










そして、未だ見つかってない子供たちが




一日でも早く見つかることを祈ります








本当に本当に、一日でも早く




お父さんやお母さん、友達のところへ帰れることを祈ります












この学校から




何故か離れることが出来なかった・・・






何だろう・・・






もの凄く胸が締め付けられるのに




離れたくなかった・・・








そして、運動場で楽器を見つけた






そこの子供達の物なのか




津波で流れ着いた物なのかはわからないけど・・・






カスタネットを見つけました






きっと、流れ着いた物だとは思うけど・・・




そのカスタネットは、黄色いリスの絵柄が付いたカスタネットです







そして、学校の脇には




卒業生が卒業作品として描いた壁画が残ってて






そこには、宮沢賢治の銀貨鉄道の夜の絵と




ある言葉が書かれてた






この写真だけ載せます






THE STRANGE RASCAL ギターのOZのblog



「世界が全体に幸福にならないうちは


個人の幸福はありえない・・・」












この言葉が今回の震災を物語ってると思う









この小学校で起きた
この悲しみは、何年立っても癒える事はないのだろうか...

通常の生活を送れば送るほど、悲しみは2倍も3倍にもなるって、遺族の方が言われてたそうです...



大川小学校

俺はまた手を合わせに行こうと強く思いました

俺が出来る事は、それだけです


辛いです


続きます。また書きます





















































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