rasa2009のブログ

エジプト時代のグリッドシステム

古代エジプトでは人体や神々などの絵画や彫刻には厳格に方眼状のガイドが引かれていた。完成時には消された下書きであるが、このガイドによって像の仕上がりに一定の水準を保っていた。時代によって方眼のマス目をいくつ使うかという様式が変わっていったが、地面からくるぶしの高さを1マスとするのは共通していたようである。
 左図セティ1世の墓の壁画を模写しての感想だが、方眼状のガイドに当てはまっている部分と、マス目の長さを利用してはいるが方眼には当てはまっていない部分が見られる。腕や手、足など図が重複するパーツの場合には型が使われていたと考えられる。まず部分で習作や型などを作ったため、全体のガイドからは外れているが、方眼の規格に従っているという結果になったのであろう。右図はベルリン国立エジプト博物館にある掘りかけのスフィンクス像である。直方体に切り出した石材の上に方眼状のガイドを引き、そこに下図を描いた。それぞれの面を彫り進めていくとガイドは消えていく。他にもプロセス見本のような習作も残っていることから、途中段階ではちょうど3DCG黎明期のポリゴンのような、もしくは面取り石膏像のような状態を経て完成へ向かったと思われる。
 ガイドラインを使うようになったのは、行列の図など一度に多くの人を描く際に、肩や顎の高さを揃えてプロポーションを合わせる必要があったからであると思われる。初期のガイドは真っ直ぐに横に伸びる水平線であった。エジプト時代以前の文明でもそういった描かれ方をしているのであればそこから伝わったと思われる。先史時代の壁画にも似たような図像をコピー&ペーストした表現が見られるが、像の表現の均一さと技術水準の向上のために自然と思いついた手法であったろう。
 もう少し当時の風景を推測するのであれば、王や権力者の前で整列する人々を画家や彫刻家が観察して取材したのであろう。その観察結果が、身体のプロポーション観察の発端であったのではないかと思われる。身体を含めた自然物は、個体差があり、相同する部分がある。そのなかで相同する部分を観察して抽出した。それがプロポーション考察の発端の一つになったのではないか