5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を
解読することに北大の研究グループが成功した。オホーツク人のルーツには諸説があるが、
現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に
最も近いことが分かり、北方からの渡来説が有力となった。アイヌ民族との共通性も判明、
同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦文人と、オホーツク人の両者が
かかわったと考えられる」と推測している。
大学院理学研究院の増田隆一准教授(進化遺伝学)らのグループで、
日本人類学会の英語電子版「アンスロポロジカル・サイエンス」に発表した。
同グループは、道東・道北やサハリンの遺跡から発掘されたオホーツク人の人骨102体を分析。
うち37体から遺伝子の断片を取り出し、DNAを解読した。
その結果、ニブヒやウリチなど北東アジアの諸民族だけが高い比率で持っている
ハプログループY遺伝子がオホーツク人にもあり、遺伝子グループ全体の特徴でもニブヒなどと
共通性が強いことが分かった。現在、カムチャツカ半島に暮らすイテリメン、コリヤークとの
遺伝的つながりも見られた。
一方、縄文人-続縄文人-擦文人の流れをくむとみられるアイヌ民族は、縄文人や
現代の和人にはほとんどないハプログループY遺伝子を、20%の比率で持っていることが
過去の調査で判明している。どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、
アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は「オホーツク人と、
同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから
アイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測している。
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オホーツク人 漁労や海獣猟を主とした海洋民で、5~13世紀にかけて
道北・道東・サハリン南部を中心に海岸近くに多くの遺跡を残した。ルーツは明確でなく、
主に《1》アイヌ民族説《2》ニブヒ説《3》アムール下流域民説《4》すでに消滅した民族集団説-
の4説で論議が交わされてきた。同時期には、縄文人の流れをくむ続縄文人
(紀元前3世紀~紀元6世紀)、擦文人(7~13世紀)が道内に暮らしていた。
どうしんウェブ
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/environment/172199.html