コミンテルンといえば アナキスト 大杉栄



1920年 (大正9年)、不景気下で労働争議も増え大杉の活動は広がる。クロポトキン の著作翻訳、前年からの演説会もらい、メーデーを前にしての事前検束もされる。夏、コミンテルン から「密使」の訪問があり、10月、密かに日本を脱出、上海 で開かれた社会主義者の集まりに参加。12月9日、社会主義者同盟結成に向かい鎌倉の大杉宅に地方からの出席者を中心に40名余り集まる。


大杉は12月、翌年にベルリン で開かれる予定の国際アナキスト大会に参加のため再び日本を脱出し、上海経由で中国人としてフランスに向かう。マフノ運動の中心人物、マフノ と接触も図る目的もあった。またアジアでのアナキストの連合も意図し上海、フランスで中国のアナキストらと会談を重ねる。

この年、ジャン・アンリ・ファーブル の『ファーブル昆虫記 』を日本で初訳出版した。

1923年 (大正12年)、大会がたびたび延期されフランスから国境を越えるのも困難になる中、大杉はパリ近郊のサン・ドニのメーデーで演説を行い、警察に逮捕されラ・サンテ監獄に送られる。日本人、大杉栄と判明、そのまま日本へ客船にて強制送還、7月11日神戸に戻る。滞仏中から滞在記が発表され後に『日本脱出記』としてまとめられる。東京に落ち着き、8月末にアナキストの連合を意図して集まりを開くが、進展を図る前に関東大震災 に遭遇。


蒋介石が共産党員を粛清した


上海事変が 日露戦争に以来の戦死者 だったのか !!


 そんな認識はないね


ドイツの参謀本部をつくったひとが 中国軍の顧問だった


ヨダヤ人が上海にいた