今日、月1回のクリニックの面談・・・。
月1回、ケースワーカーさんと面談して、色々悩み事等を話している。
今回は、引っ越してからのゴタゴタや、今抱えている父との悩み・・・。
一昨日、外構や外壁が汚され、憤慨し、自分の中の何かが崩壊し、泣き崩れ、
翌日夕方まで食欲をなくし、午前中起きれず寝込み、午後やっとなんとか持ち直し、
事情を就労移行の担当の人に聞いてもらい、少し回復・・・。
同じ内容を、クリニックの先生に話し、気持ち落ち着く。
そしたら、父についての症状は、典型的な”ADHD”であると・・・。
そうか・・・。先生に言われて納得。腑に落ちる。
一度、説得して発達障害専門のクリニックにかかるとよいと。
⇒薬で症状を抑える事は出来るようだ。
ADHDは、理系で、学者タイプの人に多いとか。
パンフレットを渡され、母にそれとなく話してみたらと。
夜、母を呼び出し、父のいない所でその話をしたら、
母は、何となくわかっていたようだった。
もう、治らないのでは・・・と諦めの様子。
でも、”ADHD"であるという事は、本人が認識した方がこちらも助かる。
このままでは周りが大変だ。”衝動性”、”病的なまでの思い込み” そのせいでの周りの混乱・・・。
この症状は、病的なものなので、根本的に解決する事は難しいけれど、薬や、ソーシャルスキルトレーニングで少しづつ改善されるようだ。(先生によると・・・。ASDは、対処薬はなし。。。。)
その話になってから、幼少期、発達の遅れの症状があった事を初めて知らされる・・・。⇒当時、本当に大変だったらしい。。。
芽生えっていう子供用の教室の体験クラスに行った事があったようで、それで、発達の遅れがあると言われていたらしい。
(2~3才位の事だけども、なんか、変な検査を受けさせられたの、うっすら記憶に残っている。思い出すと、少し嫌な記憶のような・・・。母は、めばえに代わる通信教育的なものを申し込んで、鍛えようとしたそうな・・・。でも、失敗に終わったと。。)
そりゃ、、健常者の子供を育てるのも大変だろう。。。発達の子供だとより一層そうだろう。
私や姉の場合は、周りに親戚が沢山いて、助けてくれる人が周りにいたのが救いだったと。(・・・幸い、幼馴染や、家の前に同じ年ごろの子たちが沢山いて、その中で育った事もあり、環境的な要因が一番大きいかと。。。)
おかげで、一見、発達障害には見られない。(先生からもあなたの場合は環境的な要因が一番大きいねと言われた。)私の場合は、素直過ぎると言われたけど・・・。
母も、道から外れず、苦労を経験しながら、努力しながらも育ってくれてよかったと語っていた。
私について少し語ると・・・
小学校の頃、正直辛かった。勉強嫌いで、周りと比べて落ちこぼれで、クラスの授業は上の空、クラスの同級生からは、だらしなく、忘れものも多く、そそっかしく、常にいじめの対象で、クラスが上がっても、いじめはなくなるどころか、エスカレートしていった。
自分の事を知らない他のクラスの男子からも、”不潔”と罵られ、近づくな!と、、酷く嫌われた。
さらに、落ちこぼれ、馬鹿だというレッテルと貼られ、勉強嫌いで赤点ばっかり取っていたせいか、
算数で赤点とると、全員に見せびらかそうとする輩すらいた。その私が、テストでたまに高得点を取ると、全員から怪しまれ、カンニングだと誰も認める事はなかった。(前日ちゃんと勉強してたのに。。。)
私が通ると蹴りを入れられたり、習い事でも常にいじめの対象となって、からかわれていた。剣道クラブでの組稽古中、先生の見ていない所で竹刀で肩を殴られ、乱暴な太刀振る舞いで打たれたりもした。(親が介入し、話し合いになることも・・・)
⇒今でも、受け身を取って受け流したり、かわすのはおかげで身に付いてる。
そのため、小学校時代は常に、友達が出来ても、常にお荷物な存在。。。⇒小学校6年まで。。。(自分が原因の場合も結構あったけど。。。⇒今思うと発達の傾向の顕著な症状だったと思う。でも、仲良かった友人に恵まれ、叱ってもらって様々な気付きを得ていく。。。)中学の時も、出来るだけ目立たないように、細々としてたと思う。嫌われないように、頑張ってたと思う。
だからこそ、周りと対等で、当たり前に普通に扱われるように強くなりたいと、努力してでも人一倍頑張っていた自分はいた。でも、けなされる度、心は傷ついた事はあった。(どんなに頑張っても、周りからは下に見られていたんだなって・・・。だから、負けてたまるか、、いつか見返してやる!!!という思いは常にあった。だから、勉強を頑張って、人並みに4年生の大学に進み、行きたい学校に行ったって思った時、見返してやったぞ!!って、内心思ってた・・・。でも、アルバイトして、大きな違いが沢山あった。何度やっても、中々上には上がる事はなかった。マルチタスクと正確性は、どうやっても健常者よりも劣るからだろう。。。比較され、3年たつと、バイトのシフトから外されるようになって行った。より出来る人しか入れて貰えなくなり、やがて居づらくなっていった。自分が発達障害であるときづくのはずっとずっと先の事だけれど、今思うとはっきりとわかる。)
今になって、ふと、自分が発達障害であると認識し、(自分で疑って、自分で検査を受けて分かった。)たまに、父の遺伝??であると思うと、難かった。父のもとに生まれてなかったら、自分に発達の傾向はなく、同等に、健常者として育っていたかもしれないって・・・。
でも、自分自身を受け入れた時、発達障害であろうと、健常者であろうと、”人”であることには変わらない。生まれた境遇がどうであれ、誰だって好きでそう生まれてきたわけではない。
そういう意味では、誰もが平等に、生きる権利はある。
一般的に、発達障害は広範囲な総称で、
コミュニケーションの障害や、不注意だったり、学習障害だったり人によって様々な特徴を持っているため、誰もが全く同じ特性をもっているとは限らないけれど、共通して、得意・不得意は出てくることは多々ある。でも、秀でている所も沢山ある。
だからこそ、不得意な部分を否定して、けなしては、あってはならない。
また、発達障害を抱えている人は、人一倍、傷つきやすく、心が脆く、自己肯定感が低い。(ソーシャルスキルトレーニングや、自己理解を重ねて、対処していく必要はある)
極端な凹凸があるひともいれば、人一倍努力して何とか自分で対処しているグレーの人もいるけど、秀でてる所はギフトでもあったり。
誰もが平等で、相手にも優しい、差別のない社会になっていって欲しいと改めて思った一日・・・。
何だか、脈絡のない内容になってしまった・・・。