4月を迎えるにあたり…物申します
2011年の3月11日という日は、
日本人はもちろん、世界中の人たちにも
恐ろしい刻印がもたらされた日として記憶に残るでしょう。
初めは、震源から「福島・茨城大地震」と称されていたのが
繰り返される余震と
次第に明らかとなってきた死者、行方不明者の惨状から
「東日本大震災」に訂正されました。
地震の被害だけでも世紀末のような大惨事だというのに
原子力発電所の爆発に放射能の拡散など、
日本という国が壊れてしまうのではないかというぐらい、
ありえないことが繰り返されてきました。
しかも我が国には…
1995年の阪神・淡路大震災という負の教訓が在る筈なのに
今回は想定外の規模の地震だったとはいえ、
国家が何の危機管理対策や緊急救援プログラムなど
一切やってこなかったに等しい責任は
コレ一体誰がとるつもりなんでしょうか?
これまでの日本の政治を思い返してみて下さい。
自民党の代表が天下を取れば、
政権死守の画策と自分たちがキモチイイことしか考えず…
突然、小泉さんのような、確固たる意思を持って
北朝鮮問題や郵便局のダメダメさ改善に着手すれば
余計なことはせんでよろしとばかりにつぶされほだされ…
それで結局安穏とやってきたことは
自分たちの天下り先を増やしたり、そのシステムを膨張したり…
12月になるとガーガーゴーゴー!
お約束の道路工事で国民の血税をぼかすか使う…
その間、民主党はやっきになって
自民のスクープやでっちあげを神聖なる国会に持ち込み
政権の揚足をとることに夢中だし。
公明党を口説いてみたりなんかしちゃって…
国会で居眠りをしているじじいに至っては言語道断!
…阪神・淡路の教訓が在ったとしたならば
あの災害で命奪われた方のためにこそ
政府は大地震が起きたら瞬時に
救急救命や支援活動へ1秒でシフトできなきゃおかしいでしょ。
1秒で自衛隊を飛ばして、何とかするシステムを作っとくべきでしょ。
(別に自衛隊じゃなくたっていいけど)
あれだけ冬になると首都高に
どこからともなく登場しまくる工事の重機を
さっさと船で運べよって思いました。
そのために船が足りないから兄貴頼むよって米国にいえば
戦艦のみっつよっつ出てきそうな気もしたけど。
それをオタオタ慌てふためいているうちに、原発が爆発!
その復旧で東電の社員や下請け会社社員に
あななたたちしかいないでしょ=死んで防げよとキレるバカ総理。
(死んで”も”防げ、じゃないんですよ。あの中に入るってことは死んで防げ、ってことなんだから)
何とか原子炉冷却に成功するも
あれだけ古い施設なんだから
国会で悪口言い合ってる間に
どうにかできたかもしれないのに…
しかもまだまだ被災のひどい場所では
苦しい生活を強いられている人がいます。
グーグルとかヤフーとか携帯電話会社とか、
民間のうちらがなんとかかんとか御支援を申し出て
政府なんかじゃない、民間の力を持ってして
ようやく被災者の皆さんを御支援でき始めているのです。
この国の政治はだめだって、長いこと言われてきたけど
今回のことで、つくづく本当にそう思いました。
何のためにみんなは税金を払ってきたんだろう。
選挙を重ねてきたんだろう。
揺るぎなき国家やまつりごとが
吹けば飛ぶような砂の器であったことを
日本人は真摯に考えなくてはならないのでは…
今回のことで、東北地方の経済状況は
リーマンショックどころじゃない…
向こう3年5年ぐらいは元に戻らないでしょう。
そういうことにも、義捐金を割りあてたりするプランとか
ちゃんとシュミレーションする管轄とかいるのだろうか?
ちょっと落ち着いたら、政治家はまた胡坐をかく気がする。
ほとぼりが冷めたら、今回のことをなじりあって
菅さんがどうだ枝野さんがどうだ騒ぎ合う気がする…
そうしてまた元の木阿弥…政権を取り合い始める…
選挙活動ではエラそうに
「次にあのような有事の際には…!」って声が
あちこちで聞こえるような気がする。
そして、それは、限りなく嘘っぽくて、うすっぺらい。
本当に、本当に、政治がうすっぺらい。
もしかしたら、こんなに多くの人たちが
一瞬にして命を失うなんてことが
防げる策が在ったかもしれないのに…
地震大国というのは、長い歴史の中で
十二分にわかっているはずだったのに…
未だに苦痛にあえぎ、辛酸をなめている思いの人がいる今、
また、東京都知事選が近しいこともあり
かつてない大惨事と政治の在り様を鑑みて
空しく書き連ねてみました。
とはいえ、何よりも引き続き、
被災地の方々の心身の回復を願います。
わんにゃんを始め、動物たちの安否も強く祈っています。
自衛隊の皆様の御尽力にも、深く感謝しています。
日本は今、一丸となって変わらねば。強くならねば。
それができるからこそ…できるから故に…
日本はすごい、日本人でよかったって
いつの日にか人生の終焉に思い返すような気がします。
2011年3月末日の夜に、この記事を書きました。
来年の今、果たしてどのような想いで
これを振り返っているのか…
その時に自分は何をしているのだろうか。