世の中そんな劇的には変わりません。

いつもと同じ生活のまま。

このままずっと続くのかなあと思い。

それならそれでもいいかと考えはじめました。


その頃また我が家にはいろいろなことがありました。

そしてコロナがはじまり、ますます息子には仕事の話などなくなりました。


そんな中私自身入院、手術、退院を何度も繰り返していました。


命に関わる病気ではありませんでしたが、将来に対する不安が大きくなりはじめました。


元気なのが当たり前、仕事をするのが当たり前だった私でしたが、さすがに無理かなあと思いました。


もし私がいなくなったら、私たちがいなくなったら息子はどおなるのかなあ。


何も見えてきません。


どんな形であれ1人で生きていかなくてはいけない。


でもどおしたらよいのか。


なにができるのか。


そこからいろいろと調べはじめました。

まずは専門の方に相談。


そこから息子別居計画がはじまりました。


詳細はあまり書きません。

ごめんなさい。


ただ、役所、支援相談室、病院いろいろんな方に相談しました。


それもここまでくると、一筋縄では行きませんでした。

進んでは止まり、進んでは戻り、腹がたつこともいろいろあり、なるべく感傷的にならないようにと自分に言い聞かせながら。


動きはじめたのが初夏、息子が家を出たのが、年末でした。


別居とはいえ独り暮らしは無理なのは、息子も私たちもわかっていました。


管理をしてくれる方がいるところへ息子は引っ越しをしました。


ここで息子は形はどうあれ、別世帯となりました。


私の話は大体終わりです。


後日談をあと少しだけ次回書きたいとおもいます。