今年観た映画の中で、一・二を争う面白さだったのが『ミッドサマー』。人里離れた村で行われる狂気の夏至祭りは、衝撃的だった。映像だけでなく、脚本も良かった。心の臓を掴まれた。
その『ミッドサマー』がおそらくモチーフにし、リスペクトしているのが『ウィッカーマン』であろう。
『ウィッカーマン』の面白さは、キリスト教徒の異教に対する嫌悪と否定、さらに信じる教義が汚され否定され(そう思わされ)、理解できないものに直面した恐怖を描いたところだろう。主人公は敬虔なクリスチャンだし、ましてや異教の生贄として捧げられてしまうので、その恐怖は如何程のものか。神を信じるものがその教義をまっとうすべき理由は、死後安らかに天国へ行くためにほかならない。異教邪教の生贄になってしまえば、それは叶わない。そんな人生の結末は想像もしていなかったであろうから、心中は計り知れない。私はキリスト教徒ではないし、特定の宗教を持ってないので正直推し量ることは難しいが、作品が製作された当時はかなり物議を醸したのではなかろうか。
また、作品のテーマが宗教観の対立であるとすれば、『ミッドサマー』はウィッカーマンと異なる作品だと言えるだろう。未知な物に対する恐怖は同じものだが、『ミッドサマー』の主人公が村に取り込まれていくのに対し、『ウィッカーマン』の主人公は最後まで己を保っている。『ウィッカーマン』の方が、よりシンプルで根源的な恐怖と言えるだろう。
『ウィッカーマン』には、性的なモチーフあるいは性そのものが、教義として多数用いられている。邪教を際立たせるためだろうか。だが、日本にも「彼の法」集団など性的儀礼を信奉した宗教があったようだし、その手の宗教は世界中にありそうだ。『ミッドサマー』にも、そのような意味合いの儀式やシーンがあった。もしかしたら、もっと多くのシンボルがあったのかも知れない。その観点から、観直してみる価値はあるだろう。
なんだか『ウィッカーマン』ではなく『ミッドサマー』の紹介になってしまった。繰り返すが『ウィッカーマン』も当然面白く、観る価値のある作品である。カルト映画としての、歴史的価値もある。上映は今週金曜日まで。次回はいつあるかわからない。興味のある方は、ぜひ映画館に足を運んでください。