感想を書けない | そうでもなくない?

そうでもなくない?

なにが あるか わからない だから あるがまま ありのまま でありたい
※映画レビュー移動しました。
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最近、ただでさえ映画を観る習慣が減っているのに、観るものといえばアニメばかりの進☆彡19です。


最近、はまったアニメはこれ。


魔法少女まどか☆マギカ 1 【通常版】 [ 悠木碧 ]
¥4,725
楽天


引く?


いやいや、食わず嫌いはいけませんあなどっちゃぁいけません。
このアニメ、タイトルは魔法少女だし萌系の可愛らしいキャラだしおっさんキモすぎ、と顔をしかめるあなたが目に浮かびます。でもこの魔法少女たち、『おジャ魔女どれみ』や『ふたりはプリキュア』などとはまったく違うんです。あ、同世代の皆さまは『魔法使いサリー』の方がピンとくるかな?w
いわゆる「かわいい少女が魔法を使って愛と友情のために敵をバッタバッタとなぎ倒す」物語ではありません。もちろんそういう要素も盛り込まれていますが、ただのハッピーエンド大団円ではないのです。最近は、ドラマや小説でも刺激的な描写がウリだったり不幸の連鎖で主人公を打ちのめす暗い話も少なくありません。ですから、皆さんもわりとそういう物語に慣れているかもしれません。そして、この物語はその斜め上を行く世界観と映像が味わえます。だからこそ「アニメっ!」っていうだけで選択肢からはずさない方が良いと思うのです。


かくいう僕も、アニメ大好きっ!ってわけでもありません。むしろ、魔法・超能力・モンスター・萌・軽エロで染まったステロタイプの物は、ひとまず敬遠するタイプです。これでもけっこう忙しいしw 『まどか☆マギカも「あぁ、なんか話題になってたな」程度の興味から観始めました。そしてはまりました。


物語の詳細はここでは述べません。懸命な皆さまでしょうから、すでにgoogleで検索されているはずですw
ひとつだけ申し上げるならば、この物語はとても深遠であるということ。宇宙の真理やこの世界の存在・概念など、観念的で哲学的な要素が大きく盛り込まれており、自分なりに考察しなければならないということ。僕が「感想を書けない」と思ったのは、そういう背景があります。ひとことで言えば
「理屈が理解できない」し「ちょっと難しい」。

でも、自分なりに(あくまでも)理解し議論することが楽しいです。議論の相手は中3の長男ですw


そして昨日、最終回のある意味ハッピーエンドに感動し、余韻を残したまま『劇場版まどか☆マギカ叛逆の物語』を観ました。









うわぁ~…なにこれ…こんなんでいいんすか?
テレビ版のハッピーエンドをぶち壊すこれが本当の最終回かっ!
これが素の感想です。

脚本担当の虚淵玄氏はインタビューで「好きなようにやらせてもらえたので好きなようにやった」と言っています。その結果がこれ。元々、救いのない物語で定評のある虚淵氏。本領発揮ということでしょうかね。参りました。予想を覆す斜め上、どころか垂直に発射されたビームが成層圏を突き破って宇宙を切り裂くほどの結末に、多くの感想はありません。僕ら凡人は「ああ、そうなんだ」と思うのみです。


とはいえ、感想(感情?)を少々説明させていただきますと、のっけから「スピンオフ?」と思わざるをえない描写がしばらく続きます。楽しみながらも「どこかに何かある」と疑いの心も消えず、細部にあるヒントを見逃すまいとスクリーンの隅々まで視線を走らせます。非常に疲れましたw

そして設定のヒントが出て、徐々に物語の輪郭が浮き出てきて、なにそれなにこれなんだなんだ?と戸惑っているといきなり核心が現れます。
ああ、こういうことか…よかった救済の物語か。これぞ『まどか☆マギカ』のエンディングにふさわしい(゚ーÅ) ホロリ
と思った瞬間、どん底に叩きこまれました。ぎゃぁぁぁぁぁあ!なんでなんで?そっちかよー!!!

で、物語は急展開。エンディングに向けて加速し救いのない結末を迎えるのでありました。


なんのこっちゃわかりませんよね?www










少しネタバレ。

『魔法少女まどか☆マギカ』は、宇宙の熱的死を救おうとする生命体(インキュベーター)が、そのエネルギーを地球人の『感情』に求めて魔法少女(=魔女)を育成する話なんです。地球人がその多感な少女時代に顕著に現れる『希望と絶望』が効率的なエネルギーの収集に都合が良いと判断し、『ひとつだけかならず叶う望み』を餌に少女を騙すんです。

いたいけな少女を騙すなんてインキュベーターは悪いやつだし、騙されてゾンビになったり、死闘を演じて挙句の果てに魔女になったりする少女たちはかわいそうです。宇宙の熱的死とかなんだかよくわかりませんし。

ですが、これを身近なことに例えてみたらわかるような気がしました。
インキュベーターは宇宙を救うためにその「エネルギー」を得るべく「魔法少女(=魔女)」を育てるんです。それは、僕ら人間が生きるために家畜や野菜を育てて食べることに似ていませんか?インキュベーターは「宇宙の存続のためにちっぽけな個の生死なんて気にならない(要約)」と言っています。魔法少女たちが、友だちの死を悲しんだり救おうとしたりする気持ちが理解できないというのです。一方僕らも牛や豚や鶏、キャベツの気持ちなんて感謝こそすれ考えたことがありません。食べられることを前提として育てていますから、そういう意味では死を当たり前のこととして理解しています。
そこをどう感じるか。『魔法少女まどか☆マギカ』は、そのような条理・不条理についても問題提起しています。深いです。


んなわけで、新年早々高尚な記事を書いてしまいましたが、当ブログは今年もくだらない内容でお送りする所存でございますので、引き続きご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます(ゝω・)キュピーン