ひとたびピッチに立てば誰もみな選手なのだ | そうでもなくない?

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現在行われている市大会。

子どもが所属しているクラブは、2チーム出場しています。
両チームとも予選を勝ちぬき、決勝トーナメントへ進みました。

そして一昨日、決勝トーナメントの1回戦が開催されました。
息子のチームは無難に勝利し、2回戦へと駒を進めました。

もうひとつのチームは、残念ながらスコアレスドローのPKで敗北しました。
内容は、もうほとんど敵チームのゴール前に全員がいる感じで、何本もシュートを撃つ押せ押せムードでした。

しかし、点が入らない。
惜しいシュートは何本もありましたが、GK正面に飛んだり婆様(クロスバー)に阻まれたり…
まるで、某川崎のJクラブを見ているようでしたwww

そして、サッカーの神様は「試合内容は圧倒するがPK負け」という残酷な結果を、我がチームに与えたのです。

「あーマジかよー」
「うわ…残念」
「くそーちくしょー」

などという保護者の声に混じって、

「あれじゃ子どもたちがかわいそうだよ」

という声が聞こえました。

当然、自分の子どもは別チームとはいえ、僕も心の底から残念でした。
悔しい気持ちは、皆さんと同じです。
でも、「かわいそう」という言葉には、違和感を覚えました。

負けたからかわいそう。
それはそうです。
勝負ですから、負けるより勝つ方がいいに決まってます。
負けるのは、ある意味かわいそうです。
ただし、その方がおっしゃった「かわいそう」には「あれだけ優勢に試合を進めて勝って当然の内容だったのに勝てなかった」という意味が含まれていました。

それがね、なんだか違うような気がします。
なぜなら、いくら攻めていても点が入らなかったら勝てないんですからね。
逆に、敗因は得点できなかったともいえると思います。
自分たちに原因があると。

そう伝えると、その方はこうおっしゃいました。

「でもさー、プロじゃないんだからやっぱりかわいそうだよ」

そうでしょうか?
サッカーに、勝負事にプロもアマも大人も子どももあるのでしょうか?
誰でもひとたびピッチに立てば、勝つために死力を尽くす選手とならなければいけません。
そこには、老若男女の違いなどありはしない。
僕はそう思います。

ですから「かわいそう」とは思いません。
次に勝つために「くやしい」という気持ちでいたいと思います。
それが、彼らに向けた思いです。
彼らは、ピッチに立てば子どもである前に選手であるから。
サッカー人生は、まだまだ長い。
悔しい気持ちを胸に、がんばれ子どもたち!

なんてことを書いてみましたが、子どもたちはけっこうサバサバしてるかもしれないですねー。
親だけがやきもきしちゃって、カッコ悪いです(笑)