いがらしみきおと言われた笑い
■ダウンタウンのデビュー当時はどのようなものだったのか。横山やすしにボロクソに怒られたり、「笑ってる場合ですよ」に出演している映像を見る限りでは、その後の片鱗は垣間見えない。どちらかと言えば、島田紳助・松本竜介の笑いを模倣しているようだ。
■ただ、同期芸人であった者たちの証言を借りると、星新一のショートショートのような笑いであったり、シュール漫画の大家と言われた「ぼのぼの」や「かかってきなさい」で売れた、いがらしみきおのような笑いとも表現された。しかし、これについては松本は、本人のラジオで明確に否定をしている。
ダウンタウンと宮沢喜夫
■80年代の後半。とくに、2丁目劇場を拠点に活動しているときのダウンタウンは、圧倒的に東京っぽい笑いを体言していた。残念ながら、そのときの映像はないが、この笑いも大阪的な笑いとも言えない。
■白いシャツとサングラス。コテコテの衣装を身につけず、シチュエーションだけでイメージをふくらませる笑い。花王名人劇場や2丁目劇場ではそうした笑いを、当時の2丁目軍団たちと繰り広げていた。おそらく、手本にしたのは、シティボーイズを中心にサブカルチャー方面で絶大な人気を誇った「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」だろう。
■笑いの方向性も似ている。唯一違うのは、舞台芸術や音楽に、松本が関心を持っていなかったこと。もし、ブレーンの作家やスタッフの中に、当時の演劇や舞台、音楽に造詣が深いものがいれば、もっと別の層にアプローチし、新たなカルチャーを生み出したに違いない。
雑誌「BRUTUS」で、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの作者であった宮沢章夫と対談したときの松本とのインタビューがある。いとうせいこうは、松本の影響下には中島らもがあると言った。その番組の作者も宮沢章夫であったから……松本人志の笑いを生み出したのは、作家・演出家であった宮沢章夫で間違いないだろう。
▼宮沢章夫が脚本・演出を手掛けた伝説の舞台。松本すぎる笑いに注目してほしい