過激な芸とは裏腹な温かい人柄

 

 

■日本のみならず世界でも活躍したパフォーマンスグループ「電撃ネットワーク」のリーダー、南部虎弾が脳卒中のため亡くなった。72歳だった。

 

その過激なパフォーマンスとは裏腹に、温かい人柄が幅広い人々に慕われ、田代まさし、氣志團の翔、東国原英夫、堀江貴文、ダイヤモンド★ユカイなど、業界をこえた各界の著名人から追悼の言葉が寄せられた。

 

■知ってる人も多いが、もともとはダチョウ倶楽部を立ち上げたリーダーだったが、メンバーに対するあまりにも過激な要求や年上だったという奢りもあり、半強制的にグループを追放されている。しかし、後年、メンバーだった上島竜兵と再会した時には「グループを辞めさせてゴメンね」という反省の思いや、「この人にお世話になってきたんです」という態度が常にあったという。一時は仲違いこそしてしまったが、そうした部分にも南部の温かい人柄が見て取れるだろう。

 

 

 

若手時代、映画監督に殴打

 

 

■南部虎弾がデビューしたのは80年代半ば。年齢的には、明石家さんまや島田紳助よりも目上だが、デビュー自体は10年以上遅いことになる。そのため、関東お笑い芸人のリーダーと呼ばれる「コント赤信号」の渡辺正行に「おい、若手たち。こっちへ来い!」と呼ばれると、即座に「俺は、お前よりも年上だ」と言い返したというエピソードもあるほどだ。

 

■有名なエピソードでは、ダウンタウンや若手芸人らが出演していた「ひょうきん予備校」(フジテレビ系列 / 86年〜87年)のレギュラーだった南部は、過激な物言いキャラを売りにしていた。お笑いに関係する講師が若手芸人に講義をする番組で、なぜか「ほとんどビョーキ」でおなじみの山本晋也監督が登場。南部は忖度なしに「最近は映画を撮っていないのに、『監督』と名乗るのはなぜですか?」とたずねると、山本監督が激怒。頭を小突かれ、首根っこを持たれてスタジオの外へ出させたこともある。

 

■ちなみに、南部はこの番組について、「ダウンタウンを売り出そうという雰囲気がありありと感じる番組でした」と、テレビ業界のからくりをさらりと暴露したことも。(ダウンタウン松本は、盟友の放送作家である高須光聖とのラジオ番組『放送室』で、「俺はほとんど誰からも手助けされずに世に出てきた芸人」とコメント。本人にはそう感じさせないように、色々なサポートが行われてきたということがわかる)

 

(YouTubeチャンネル 街録チャンネルより)