■今日現在(1/21)、松本人志の話題は止むことを知らない。

 

今も、週刊文春の追いかけ記事が次々とメディアから吐き出され、追い打ちをかけるようにSNSでは、「松本人志のお笑いそのものが嫌だった」というコメントがあふれる事態となっている。

 

SNSでは威勢のいいポストをしていた松本だが、芸能生活にとって大きな痛手となったことには間違いない。

 

松本はなぜ、結婚後も遊びグセが治らず、このような騒動に巻き込まれてしまったのか。

 

 

■芸人は、「飲む打つ買う」も芸の肥やしといわれる。

 

80年代に第一次黄金期を迎えたビートたけしは「遊びなんて芸の肥やしにならないですよ」とワイドショーで語ったことは有名だが(その後、不倫相手への強引な取材対応に腹を立てフライデー事件を起こした)、一流に駆け上がろうとする芸人ほど女性問題でつまづく印象がある。

 

 

■奇しくもダウンタウンと同期芸人だった漫才コンビ「トミーズ」の雅もそんな一人だった。

 

ボクシングで日本スーパーウェルター級1位を獲得した漫才師として、当初からメディアで注目され、同期芸人の中でいち早く人気者となった。

 

その後、雅は自分のことを「天才やねん」と言って憚らず、女性にもモテるようになると、まったく新ネタも作らず漫才にも身が入らない。

 

今も忘れられないのが、当時交際していた女性とホテルへ入ると、「2時間で6回はやってましたわ」というセリフだ。こうして雅は、自らの女性問題が理由で失速してしまい、その後のブレイクまでに時間を要するにことになる。

 

 

■もう一人、忘れられないのが、上岡龍太郎から「落差のすごいツッコミ」と評された平和日佐丸がいる。

 

ほとんどの人は知らないと思うが、「平和ラッパ・日佐丸」という漫才コンビで60年代のお笑い界で活躍したコンビだ。

 

この日佐丸は、「フケ顔」であり、大ボケのラッパに比べて「地味」だったというコンプレックスもあり、なかなか女性にモテなかった。そのモテなさぶりは凄まじく、やっとの思いで女性芸人と付き合い出すと、旧知の仲であった横山ノックに「あいつはやめとけ。みんなやっとる。おれもやったんや」というなんとも寂しいアドバイスを受けている。

 

結局、結婚した女性にも不倫され、そのショックから自らで人生に幕を閉じている。

 

 

■究極の女性問題で、芸人だけではなく人としても人生に終止符を打ったのが、ものまねの神無月の師匠である佐々木つとむだ。

 

元祖ものまね四天王と呼ばれるほどの手練で、当時世間を騒がせたロッキード事件の関係者たちで麻雀を繰り広げる「ロッキード麻雀」で一斉を風靡した。

 

佐々木もまた、不倫女性に対する度重なるDVが理由で、滅多刺しにされた。もちろん、そこで人生は途切れている。

 

 

■芸人たちの女遊びにまつわる話は後を絶たない。

 

関東一のナンパ芸人と呼ばれたMもそうだ。出会う女性に片っ端から声をかけ、プロやアマもお構いなし。当然、芸能人も含まれており、浮き名を流した女性タレントも数しれない。

 

特に有名なエピソードとして語られるのは、二人の女性を愛し、どちらかと別れるという決断ができない時に、じゃんけんをしてもらい、勝った方を妻とし、負けた方を長女として戸籍に入れようと考えたほどの女性好きだ。

 

そんな彼も40代半ばで結婚し、女児を授かった。

 

それでもなお、女性遊びがおさまらなかった彼を更生させたのは、公私共に尊敬していた先輩、タモリの一言だったと言われている。

 

 

■『ジャングTV〜タモリの法則〜』(TBS系列 / 1994年〜2002年)の人気コーナー「ジャングルクッキング」にゲストとして呼ばれ、カツ丼を作ることになったM。

 

上手にカツも揚がり、出演者一同が満面の笑みを浮かべる中で、Mは自慢の大食感で笑いを取ろうと「玉丼」をタモリに作ってもらい食べるという暴挙に出た。

 

観客も笑いに包まれたが、そのときタモリが「結婚して子どももいるのに、まだそんなに食うのか?」と言い放ったという。

 

結婚しているなら体調管理をしっかりとやれ。尊敬するタモリからたしなめられたMは、家庭を持った責任をしっかりと受け止め、考えを改め直し、一切の女性遊びを断ったそうだ。

 

無敵の帝王となってしまった松本に薫陶を捧げられる人物とは? 

 

もはや芸能界には、さだまさししか残っていないだろう。

 

松本は今、「道化師のソネット」を聴き、色々な物思いにふけっているはずだ。

 

text.近田ラリー