煎茶の初茶会が四日市の伝七邸でありました
こちらの名前にある『伝七』には四日市の歴史があり、
明治~大正の時代に、
四日市に設立された紡績会社、東洋紡績の創設者
10代目伊藤伝七からきています。
東洋紡績は三重県内にいくつかの工場がありました。
その中の一つ、四日市市にあった富田工場は今は
イオンモール四日市北になっています。
以前私が働いていた一族経営会社の奥さんが
長野県出身の方で、地元を離れこの東洋紡績富田工場に
働きに来ていた話を聴かせてもらったことがありました
今になって思い出しますが、
その時、こんな歴史があった会社であり、
話だっただなんて思いもしませんでした
伊藤伝七は、
日本を代表する経済人であり日本の資本主義の父、
論語と算盤、
2024年からの新紙幣1万円札の顔、
『渋沢栄一』とも関係があり、
10代目に次ぐ11代目伊藤伝七は
三重県いなべ市の藤原岳で採取されたセメントを四日市へ輸送する
鉄道会社『三岐鉄道』の初代社長。
干支ねずみ年の置き物
煎茶の初釜茶会で訪問させて頂きましたが、
会場となった場所は、たくさんのことが勉強になりました
旧伊藤伝七別邸 玄関棟・さつき棟が
国登録有形文化財になっています。
産業や工業で栄えた四日市。
知れば知るほど奥深いです。
そしてここは萬古焼、伝統的な窯業でも知られる街です。