○○○ 依存
みたいな検索を山ほどしてきた私が
依存性について語ろうと思います。
(色々参考にしてるので最後に書きます)
あくまで自分の依存パターンでしか語れないんですが
よろしくお願いします。
●女性性の不足
●イヤなことから逃げている
●自分に対する無関心
●生存本能
依存性の人は、女性性(セロトニン)の喜びが不足している人だといえます。
依存状態においてはドーパミンが過多になり、セロトニンが低下します。
女性性の喜びとは、これ美味しいとかこれ素敵な香り〜とか、自分の内側から湧き出る感性感覚の喜び(そんなレパートリーがたくさんある)
……です。
次に、
何か嫌なことをやっていて、バランスを取るために依存をする、ということです。
目的はバランスを取る事なので、依存先のゲームや食事、恋愛を楽しむことが目的ではありません。
この2つは頭の片隅にでも置いといてもらって。。
依存しやすい人の特徴なんかで一般的に言われているのが、
無趣味、友達少ない、なかなか人に心を開かない、心を開いた人のことはすごく好きになる、自分に自信がない、自己肯定感が低い、同じものを好む偏食傾向(音楽、食べ物など)……
などですが、
私はこれらにもれなく当てはまっていました。
最終出社前の1週間(※まだ会社に行ってる時)は、8時間くらい仕事をして、8時間くらいゲームをするという生活をしていました😂
が、
ゲームが好きで長時間やっている人とは、決定的になにかが違うということはわかる、
やりたくて(こんなに長時間)やっているわけじゃない。そして、やめたくてもやめられない。
そもそも、ゲームに対する純粋な興味関心からゲームをやっているわけではない気がする。
……というか、これまで自分の中の興味関心を原動力に何かをやったことなんてほぼないのかもしれない。
だから、趣味なんて増えないのです。
じゃあ原動力はなにかっていうと、
「嫌なことから逃げるため」
ということになるんだけど、
じゃあ私の嫌なことは何だったのかっていうと、
日々、自分が我慢したり頑張ったり喜んだり傷付いたりしていること(自分が日々感じている色々な感覚、感情など)
……を、感じることから、目を背けていること。
だと、私は思っています。
依存性の人は(というか、私ね)
自分に対しても、無関心なわけです。そもそも女性性が少ないので、五感の満足感とか、自分自身の感覚に鈍感です。
…いや、完全に鈍感というよりは
敏感だったとしても、どこかで自分の感覚や感情を無視してしまうわけです。抑えてしまう。
そうすることで、丸く収まるような気すらする。
どうしてなのか?
これは、ACに関係あると思っていて、
AC(アダルトチルドレン※ここでは今現在大人で生きづらい人のこと)は、子供の頃から自分の感性や感覚、思考すらも押さえつけて生きてきた人がとても多い。
まともに感じていたら、辛くて心がボロボロになりすぎて、生きてこれなかったから。
そうして、自分の感覚感情やまともな思考を麻痺させることで、今日まで生きのびてこれた。
その「クセ」…というか、もはや「生存本能」みたいなものが抜けないんです。
だから、生きる以上、自分の感覚感情を無視することはデフォルトみたいなもの。
でも、他ならぬ自分に、自分の感覚感情を無視され続けるということは、本来とても辛いこと。
さらに、その感覚感情の根本には「幼少期体験した辛さ・寂しさ・憎しみetc」も、あるはずです。
自分に自分の感覚感情を無視され続けることで、心には大きな穴が空いたまま。
それを本当の意味で埋めるのは、自分の感覚感情をしっかりと感じて生きていくことなのですが、生存本能が邪魔してしまい、どうしてもそれができない。
だから、外側に埋めてもらいにいく。
外側にしか、自分を満たすなにかはないと勘違いしてしまう。
結果、自分の感覚感情を感じることからの逃避が、依存行動。
(食べ物、モノ、人間関係、快楽、美しさ、、、などなど求めに行く)
依存してる時って、どれだけ味わっても、満たしても、どことなく麻痺したような感覚がある気がするけれど。。。
そういう事なのかなと、思いました。
私は結構この、依存性に長い間苦しんできて、
まだ完全に抜けたとは言いきれないし、
まだデフォルトに自分を無視したりしてしまう時もあるんですが、
自分の感覚を感じないことで生きてきた人にとって、自分の感覚感情に敏感になること、向き合うことは、ものすごく怖いし、とても違和感があると思うのですが…(生存本能が脅かされるからね…)
感情や感覚を感じても、安全に生きていけるという前提があったとしたら。。。??
少しずつ軸が自分の中に戻ってきて、
本当の興味関心から、何かをやることも可能になるんだと思います。
そんなわけで
昔の自分に言ってあげたいこととしては
何年も何十年も依存してきた自分は怠惰だと思ってしまっていたけど、
これは傷つきすぎた経験による生存本能のうえでのことだから
依存行動だけを取り上げて自分を責めないでほしいっていうのと、
自分の感情を感じてみるとき、
自分は今日何が嫌だったかなとか(事実を受け止めるのと、思考を止めて嫌な気持ちを感じたり、泣いたり叫んだりする(※重要)のと)
どういう香りが好きかなとか、味わって食べてみるとか、女性性(五感)の喜び探しとか、(イメージして喜びやリラックス感、幸せを感じたり)
自分の感覚や感情に向き合うことは怖いかもしれないけど、きっと少しずつ変わると思う。
(思っちゃダメとかはないです。感じるのは自由です)
ってこと。
最後に、
同じようにお仕事をして、お金を使って、ものを食べて、人間関係を求めたとしても
依存じゃないもの(興味関心とか)から来るものって、なんとなく純粋で、自由で、豊かで、より自分らしいような気がして、
それは、今まで依存関係しか知らなかったのであれば…
本当に感動するほど、幸せな体験ができるんじゃないかと思っていて、
(私もまだあまり知らないんだけどね……)
もちろん、依存そのものを否定するわけじゃないんだけど、
もし、「依存をやめたいけど、どうしてもやめられない」人がいたら、
その人はきっとその人だけのタイミングでやめることができるし、
何かのヒントになったら良いな
と、思って書きました。
読んでくれてありがとうございました
私は、
女性性、男性性については、クノタチホさん、
ACについては、岩田とよさんから
学びました。
お二人とも専門的にされていますのでぜひぜひ…!
依存については、ミナミAアシュタールさんの動画を見て参考にしています。(悩んだらお名前スペース悩みでぜひ検索してほしい)
ではまた〜!