昨日で震災から2年たった。
私はやっとあの不安感を忘れられるようになったので、震災特番は一切見なかった。

震災があってからテレビをほとんど見なくなった。
薄情かもしれないけれど、映像を見るのも話を聞くのも辛かった。

「忘れない、忘れない」ってテレビで沢山やっているけれど、そんなふうにしなきゃ忘れてしまえることなんだろうか?
「忘れない」とか「当たり前のことに感謝しよう」とか、美しい言葉を口にすることで、悦に入っているんじゃないか?
ほとんどの人が映像をみて、悲しい気持ちになって、それで終わりなんじゃないの?
・・・・・・なんてモヤモヤしてしまう。
ツイッターの黙祷なんかも気持ち悪い。
きっとこんな記事を書いている私も客観的に見たら気持ち悪いかもしれない。

被災していない人が何を言ってもきれいごとに聞こえるのが、仕方のないことだとはわかる。
寄付金を集めるためにも、視聴者の同情を集めるのがいちばん手っ取り早いというのもわかる。
それでもそういう特集を見るとなんとも言えない気持ちになってしまう。


去年の12月に書いた記事を載せたいと思う。


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9ヶ月が経とうとしている。

私は福島県に住んでいる。とはいえ地震の被害は少なかったし、避難地域に指定されることもなく、今でもほぼ震災前と同じ暮らしをしていると思う。

3月11日はちょうど彼氏の家に居た。
次の日に大学の卒業式のために上京する予定で、彼が仕事の間、ひとりで留守番していた。

電話中に起きた地震。
小さな揺れから徐々に大きな揺れに変わり、キッチンの電子レンジや土鍋や食器類が物凄い音を立てて次々に落ちた。
慌てて外に出ると、向かいの家のおばあちゃんも布団を被るようにして出てきていた。
電柱や信号機もしなるように揺れていた。
アパートが崩れるんじゃないかと思って、しばらく駐車場のところでうずくまっていた。

すぐに母から電話が来て、とりあえず迎えに来てくれることになったが、
そのあと彼に電話するとすでに通じなくなっていた。
一度実家に帰り、父の安否を確認。
心配なのでもう一度彼の家に戻ると、彼は会社から帰っていて、室内の荒れように唖然としていた。

ふたりで抱き合って、「良かった、良かった」と言いながら散乱する破片を拾った。

テレビでは津波の映像が流れ、死者が増え続け、大きな余震がなんどもなんどもやってきた。
卒業式は当然延期になった。(結局夏に行われたが参加できなかった。)

.地震が落ち着くまで就職先も休みになったので、テレビに噛り付いていた。

何度も大きな揺れがやってきては怯え、原発のニュースで保安員が出てくるたびに病気を宣告される患者みたいな気持ちになった。
その時に流れていたACのCMを聞くと今でもぞっとするぐらいだ。

原子炉建屋の壁が吹っ飛んでいる写真や映像を見てから、
「きっと放射能で何週間後には死ぬんだろうな」なんて思った。

たぶん震災東海村臨界事故の大内さんのレポを見ていたから、余計に放射能に対して恐怖心を持っていたんだよね。
私が読んだ大内さんのレポート「被爆治療83日間の記録 」

メルトダウンして放射能が拡散して、細胞分裂しなくなってぐちゃぐちゃになって痛い思いをして死んでいくんだろうって本気で思った。

すぐにでも避難したかったけれど、外を見てみるとみんな平然と買い物したり、
散歩していたりしているし、父なんか「大丈夫大丈夫」の一点張りだし、
大体飼い犬を連れてどこに避難するのという感じだしで結局できなかった。

彼氏と二人で、とも考えたけれど、周りの人たちはほとんど危機感を抱いていないから、
初めは怒りやもどかしさを感じていたものの、次第に諦めがついた。

私は福島にいるしかないんだ、って思った。
独りで逃げる勇気もないし、お金もないし、説得する気力もないから、仕方ないんだと思った。

「なんで逃げないの?ばかじゃないの」って言う人もいるだろうけど、逃げないで福島に残っている人たちがみんな、
福島が好きだから残っているわけじゃないんだよ。
そりゃ私だって、九州や沖縄に避難できるんだったら避難したいよ。でもできない。
命よりお金や仕事を優先するのか、と聞かれたらyesとは言わないけれど、
そのまま福島に住んで、がんや白血病になって早死にしてもいいのか、と聞かれたら、
「そういうことになっちゃうよねえ」としか答えられない。

悲しいけれど、私はここにいることを選んだ。
ここに住んで、なるべく福島産の野菜を食べないとか、雨に当たらないとか、できる限りの努力をするしかない。
福島に生まれて福島に育った私は、福島で結婚して、子どもを産んで、きっと福島で死ぬんだと思う。

愛する人たちは大きな病気にならないだろうか。
子どもは健康に生まれるのだろうか、育つのだろうか。
22才の私の未来に「福島に生まれた」という事実はどう関わっていくのだろうか。
福島に生まれなければ、持つことのなかった不安に苦しめられている。

福島ナンバーが恐いと言って避ける人がいる。福島の農家は馬鹿だ、人殺しだ、と罵る人がいる。
そういう人に、心から反論することも、同意することもできずに、ただ涙が出るような胸の痛みを感じる。

私だってもし福島県民じゃなかったら、放射能が少しでも付いた車になんてわざわざ近づきたくないと思うし、
福島県民としても線量検査されてない米や、検査されていたとしても世界基準より甘い基準で通過し、出荷された食べ物を口にしたいとは思わない。
でもツイッターなんかで、そういった福島に対する厳しい批判や刺々しい意見を目にするたびに、どうしようもなく落ち込んでしまう。

もう諦めたはずなのに、好きで福島に住み続けるわけじゃないのに、「なんでそんなこと言うんだろう」と激しく傷ついている自分がいる。
そのうち福島は隔離されて、「福島の人と結婚しちゃいけない」とか「福島の人と子どもを作ってはいけない」とか言われて、私たちが差別・迫害の対象になる日がくるんじゃないかとか、大げさな妄想がなんだか現実的に思えてしまう夜がある。

本当にあの日を境に全てが変わった。目に見える被害だけじゃない。
目に見えないからこそ、どんどん限りなく侵食していく不安がある。
でもここに残る以外の道を自ら崩してしまったから、どうすることもできないままずっと、私はふくしまで生きていかなければいけない。


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