私が何度も読みたいと思った本。

よしもとばななの「デットエンドの思い出」
サリンジャーの「フラニーとゾーイー」
川上未映子の「乳と卵」


そして今回彼に贈る予定の「夜と霧」です。


夜と霧は、クリスマスにぴったりのロマンチックでハッピーな小説ではありません。
この本には、著者のフランクル自身のアウシュビッツ強制収容所での体験と被収容者の心理が描かれています。
あの「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクが収容されていたような、ナチスの強制収容所です。目を覆いたくなるような描写も多々あります。しかしそれは全て実際に起こったことです。


私は、大学の教授に勧められて初めて読んで、辛いことがあると何度も図書館で借りて読み返しました。


精神的に余裕があるときに読んだ方が良いと言われたので、少し身構えて読んだのですが、私にとっては希望を与えてくれる内容でした。

小説としてみれば理論的で、報告・分析としてみれば情緒的。

きっとこれが実際に被収容者であった者としての、できる限りの客観的考察なのだと思います。
ここまで冷静に苦しみを分析できたのは、フランクルに課された人生の責務だったからかもしれません。

アウシュビッツと聞いて思い描くのは、劣悪な環境で虐待され、酷使され、モノのように(もしくはそれ以下のように)扱われていたユダヤ人たちです。
そこには夢も希望もなく、いつ解放されるかも分からない恐怖と憎悪にまみれていたと想像できます。

でもこの本が教えてくれたのは、「確かに、その環境は最悪というだけでは生易しいぐらいのものだけれど、そんな絶望の淵にも希望はあったこと、愛はあったこと、悪もあれば善もあったということ」です。

収容者の多くは過去にとらわれ、現在に打ちひしがれ、未来を放棄しました。

一方、その過酷な状況下でも、生きているかもわからない自分の妻に思いを馳せて、彼女が「私の今の状況よりましだといい」「私の苦痛と死を引き換えに、妻を苦しませないでくれ」と願って、自分の苦しみに意味を見出した人間もいたといいます。

未来が未定だということに、光をみつける人間もいました。


これ以上ない苦しみを、苦しみ尽くしてフランクルが得たものは、苦しみ尽くさなかったものには発見し得なかった、「生きる意味とは何か」という問いに対する答えでした。

あとは、どんな言葉をつかってもうまく伝えられないので、引用したいと思います。


・人は、この世にはもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。


・もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引きうけることにほかならない。


人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ




これを読んで分かるのが、フランクルは快楽主義を否定していることです。

生きる意味を、幸福や快楽という尺度ではかっていてはいけないということだと思います。
もしその考えを捨て去れば、永遠に幸せになる見込みがない、生きている意味がない、だから死ぬという決断には至らない。

フランクルに言わせれば、幸福と苦しみには同等の価値があり、どちらも生きる意味に違いないんです。

その人がその人であること、その人しか経験できない苦しみを受け容れること自体が、かけがえのないことで、価値があることなのだと……


うん。洗脳されました(笑)

でもこれは、大学生当時、政治学を勉強して自暴自棄のニヒリストになりつつあった自分にとって良い教訓になりました。

今は立場が逆になっているユダヤ人(アメリカのユダヤ・ロビー等々)の言動から、「ユダヤ人」という集団全体を偏見の目で見ていたことも反省しました。

アメリカ的な善悪二元論を否定しておきながら、自分はだいぶ集団を集団として善悪のカテゴリーに分類していたことに気付きました。


収容所にはパンをこっそりと分け与えてくれた人間らしい親衛隊もいた。

下からの選抜によってカポー(監察兵)となったサディスティックな被収容者もいた。



人間としてどう生きるかという自由はだれにも奪えないという事実。

その事実がある限り、どのような立場、人種であるかだけでは「ひとりの人間について何も語ったことにならない」。
善悪の「境界線は集団を越えて引かれる」ということを思い知らされました。

アンネ・フランクの伝記を読んだだけでは知りえなかったことを学びました。

この本は、心理学者として語られる文章なのでそこまで宗教的ではないし、大きい字かつ平易な言葉で書かれているので、読みやすいかと思います。

周りにこの本を読んだ!という方がなかなかいないので、この記事に目を通された方がいらっしゃれば、是非読んでいただきたいです心