最近、隙間時間にいろいろな

YouTubeを聞くようになった。


前は歌やボイトレが多かったのだが、

今は本やニュース、映画、アート作品などの解説が増えてきた。

こうして書いてみると解説ものばかり。


気になるものは、

もとの本や作品に当たることも多いが、

やはり時間が限られているので、

圧倒的にYouTubeで聞くだけ、

の時間が増えてしまっている。

 

これはある人の受け売りなのだが、

これからの時代は、

作品の作者そのものより、

それを解説する人達の方が

どんどん表に出てくるらしい。


そう言われてみれば、

そうした構成をマネしたテレビ番組も

増えてきている。


昔なら、マニアやモノ好き、オタク

と言われる人たちの世界だったのが、

ネットを通じて多くの人達が、 

楽しむようになり、

へえーっとかほーっとか言い合うのが

普通の世界になってきたのかなと思う。

 

そして、

これも同じ人からの受け売りなのだが、

私が聞いているような解説もの動画を

たくさん聞いたからとて、

頭は良くならないという。


「頭がよくなったつもりの」

人が量産されるだけだという。


忙しくても老眼でも(笑)

それなりにいろいろ

インプットできて喜んでいただけに、

正直ちょっとがっかりした(笑)

 

では、

頭がよくなるにはどうすればいいか。

というと、


それらの情報を取り込んだ後に

自分の中でリンクを発生させるという

段階が必要らしい。


ちなみに、「頭がいい」というのはその人の定義によると「持っている知識を応用してそこから仮説を作って実証ができたり、実験ができて、自分の行動を変えれること」だそうだ。



要するに、新しい知識を仕入れて即、

「聞いて~聞いて~」と人に話したがる段階では甘い(耳が痛い(^◇^;))


知識を応用するために、自分の経験や他の知識とのリンクをはる。

その結果仮説を立てて、動いて試して検証して、修正してという実践的な行動がとれることが必要なわけだ。


なんかすごく腑に落ちた気がした。


私自身、感心した情報があると

その瞬間はテンション高く興奮しているのだが、あとでそれを誰かに話すときには、うまく言語化できないことが多い。 

あれ?あの感動はどこに行ったんだろうと不思議になるくらい、

なんともフワフワしている。


要するに身についていないし、

自分と一体化できていない

ということなのだ。

 

そういう自覚がはっきりあったので、

これから気になった情報は、しっかり書き留めるということを試しに始めることにした。


そうすると、書いているうちに頭の中でいろんなリンクが発生して、書きたいことが何倍にもなることを発見して、我ながら驚いた。


いろんな方向から捉えなおしたり、自分の中で自分の普段使っている言葉でいうなら、どうなるだろうなどと考えてみたりするうちに止まらなくなる。


先日は、たまたま見た映画のたった一つのセリフが気になって何十行も書いている自分がいた。


その瞬間の自分の感動の正体や、自分なりの思い出や経験、別の日に聞いた情報なんかとのリンクが次々発生するからだ。

 

そこまでやると、さすがにそれを把握する前と後の自分は別人とまでは言わないが、確実に若干変容していると感じる


そして時には、

「●●は△△ということではないか」というような、自分なりの仮説めいたことを新しく手にすることもある。


そこまで来たら人に話せる感じになるみたいだ。


そしていつか、実際の日常生活の中で、

それを意識する場面が出てきたら、

とっさに適用するような行動原理めいたものになっているかもしれない。


そこでの結果で、

きっとそれはまた修正されたり、

強化されたりする。

 

だけど、聞いた話をそのままフレーズとして持っているだけでは、

それは借り物であって、

自分の内部に根を張っていないので、とっさの事態の反応が変わるような、無意識や意識的な選択原理に影響するような、

そういうことにはならない。

 

ちなみに、

今のところこの試みは、

とても心地がいい。


ただ、

誠実に向き合って腹の底とつなげていく作業だから、あれもこれも相手にするわけにはいかない。


だけど、やったことに関しては満足感があるので、沢山のことを知らなければならない、知っておきたい、という焦りもなくなってきた気がする。