久しぶりにボイトレ日記。

結構でっかいブレイクスルーをしたようです(^^)


今まで散々言われてきたこと、

 

お腹に声を落として歌う。音程もお腹でとってのどでとらない。

のどをしめない。舌に邪魔させない。背中も使う。

胸に響かせながら下に落とす。常に身体の筒を維持する、

などなど。

 

なんと、これらのことが、

全部つながった瞬間がございました。


それも、たった一つのことがきっかけで。。。

 

結論から言うと、

自分の下あごの位置を変えただけなんです。

といっても、手術とかじゃなく、口の開け方の話です。

 

実は、ここに問題があったのは

以前から知っていたのですが、

力まずにそこを補正しながら

歌うことができなかったのです。。。



身体は全部つながっていますし、

ちょっと部分を意識しただけで

体中が連鎖的に力んでいたんです。 


 

力みって怖いんですよ。

力んで歌うことをリコーダーで例えるなら、

へしゃげた状態で懸命に息を吹き入れよう

とする行為と同じです。完全に自殺行為です。

というかある意味変態です 笑

 


そこをちょいとクリアする感覚が掴めた

というのが、今回の大収穫でした♡


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今回、あらためて気づいたのは、

歌を歌うってことは、楽器演奏とは違って、

楽器となる身体づくりからしなくちゃいけない

ってこと。



例えばピアノを弾く人は、

ピアノという楽器からは作らないですよね。

職人さんが、技術を駆使して作ってくださる。

だから押せば最低限は鳴ります。



だけどボイトレは全然違います。

生まれつきの体格から身体の歪み、力み癖まで

相当歪に変形した箱を整える作業から

始めなきゃならない。



要するに、まず、

自分で自分の職人

にならなきゃいけない。



私はそこを大変甘く見ていました(^◇^;)


 

いろんなボイトレの情報が

ネットやYouTubeに出ていますが、

そもそも歌の上手い人たちは、

子供頃から相当整った条件を

持っていたはずなんです。



だから、なんか知らんけど

聞こえた音そのまま出せる。

息が全部うまいこと声に変えられる。



だから歌うこと快感だった人たちがほとんど。

だから、ずっと歌ってるんです。きっと。


というわけで、

身体づくりに関する情報は結構少ない。

あっても、どうしてもその人の身体の傾向にあった

解説になっちゃってます。



もちろん、対面で教える場合は、

一人一人の身体に向き合ってくれる先生も

多いと思います。

 


だけど、そもそも

他者の身体を矯正することなんてできません。

無理やり指突っ込んで喉開いたって、

力みまくって意味ないですし、

何より気持ちよく呼吸できない(笑)

 

というわけで、

気持ちよく声を出すための旅は、

ひたすら自分の身体に向き合う旅だったのです。



そしてそれは、

基本的にとても孤独な行程なのです。



コーチはそれに寄り添うしかない。

だけど、というか、だからこそ

それをやり続けてくれる私のコーチは

本当に素敵な先生だと思います。

 

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って、書きながらやっぱりこれって、

ボイトレに限らないよな、と思いました。


親子、先生と生徒、師と弟子なる関係。

誰かを見守りたい人と見守られる人との

あらゆる関係、

が頭に浮かんできます。

 

代わりに生きることなんてできないし、

自分として持って生まれたもの

とことん向き合うのはやっぱり

本人にしかできない。


痛いとか、苦しいとか、

しっかり失敗するとか、

それでもそこからなんか拾うとか、

光を掴むとか、

また頑張りたいと思うとか、

全部全部。



そして、そんな道は、

誰かが

時につかず離れず、

時に共に喜び、  

時に共に悲しみながら

寄り添ってくれるからこそ歩けるし、

そのこと自体が幸せってヤツの一つの形

なんじゃないかな、と思ったりするのです。