わざわざ悪いことをするって、
世間や世界に対して働きかけようとすることや、
力を加えて、その変化を実感したいということ
の一つの形には違いないよな、
とふと思った。
訳あって
そういう形でしか、触れ合えなくて、
そういう形ででも、触れ合いたくて。。。
たとえ最後に撃たれても、滅ぼされても、
最後に触れ合って、何かを実感しなきゃ
終われないって
思い込んだんじゃないのかな、とか。
全部が全部とは言わないけど、
そういうのもあるのかなって。
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そもそも悪いことって、
人の嫌がることって、
結局、その基準が他人軸なんだよな。
自分が感じられないから、
その究極の他人軸を体現する方に走る。
透明が皮膚の皮一枚着ているだけ、みたいな
生きている実感の無さに追い詰められて、
嫌われてでも、
存在を認めてもらわなきゃってなった。
手っ取り早いし。
あ、ただ、その存在を認めてもらう快を
悪いことだから快なんだ、
と単純にすり替えてしまっている場合も
あるかもな。
まあ、分からないけど。
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ただ、少なくとも、
ヒーローものの悪役も、
いたずらっこも、
そんなにイヤなら
明後日向かって走ってけばいいのに
結局かかわってくるのをみると、
きっと、悪が一番困るのは、
相手にスルーされることであって、
反撃にあうことでは、ないだろうな。
なんの罵りも泣きもなく、
うん、で、何がそんなに寂しいの?
うん、で、何を本当は見て欲しかったの?
と聞かれた時に、
答えられなくて、
悪に寄りかかっていた自分に
ただ、自分を生きれなかった自分に
気づくのかもしれない。
全部が全部そうじゃないだろうけど、
そんな風に思うことがあります。