我が家の次女、
保育園の頃、
泣き続ける子供でした。

ポロっと泣いてはアクティブリスニングすると
たちどころに気持ちが言語化できる息子
とは対照的。

次女は、
「嫌なんだね。何か困ってるんだね。」
と声かけしても、さらに暴れました。


途方に暮れつつしばらく悩んだ末に、
とにかく観察し続けた結果
ようやく分かったのは、


彼女には彼女のストレスがあり、
ただそれを泣いて解消しようとしているだけで、
言語化の手助けなど要らなかった。


ということでした。


自分はすでに明確。
他者を責める意図もない。


つまり、彼女の場合は、
言語化の手助けではなく、


爆発する感情からリカバリーする
その間も見守っていてくれるという安心感を
圧倒的に欲していたのです。


だからこそ、私に罵詈雑言を吐いたり
蹴ったり叩いたりすることで
私の存在を実感したり、
私と今この瞬間も繋がっている
ということを確認していたのです。


分かりにくかったです💦💦💦


気づくのに何年もかかりました。


数年後に本人に聞いてみたら、


そのことを
「ママと一緒に乗り越えたかったの」と
表現していました。

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自分を感じ切るとか、
感情をありのままに認める、
とかが大切だ、

とはよく言いますが、


娘のこの姿、気持ちを知らなかったら、
私はそのことの本質を
半分も分からないままだったったと思います。


暴れたり、爆音で泣き続ける子供って、


うるさいし、
このままじゃ心配だって思われがちだし、
なんとか早く救ってあげたくなったり、
何より、自分を責めているに違いないと
感じる大人は沢山いると思います。


そうなると、


黙らせたい、
黙らせられない自分はダメ、
黙らないこの子はダメな子、心配な子
となります。


でも、今8歳の娘の様子を見る限り、
そうじゃなかった、と力強く思う自分がいます。


もちろん本質的には、
一番触れ合いを欲している子供ですし、
日々のストレスはいくらでもあるらしく、
泣くことはよくあります。


例えば先日も、学校から帰ってくるなり、号泣。

まずは、
襖を閉めてとなりの和室で泣いていました。


とにかく泣きたいんだな、と分かりました。
襖を閉めたのは
彼女なりの配慮なのかも知れません。


そのうち、少し泣き方の勢いがなくなり、
なんとなく私を呼んでいるような
泣き声に変わりました。


最近は、
ようやく自分の感情の爆発が終わって
自分で自分に向き合える隙間が出来ると
話したくなるようです。

そこから、襖を開けて体をさすりながら
聞く体制をとると、


少しずつ話しだし、
アクティブリスニングも
チョボチョボ出来るようになります。


とはいえ、
彼女は言語化はあまり得意じゃないから、 
やりとりは多くないです。


全身表現を見ていたら、
どこかの瞬間で
あーもうスッキリしたんだな、
と分かる感じです。


そのあとは、かなりあっさり遊び始め、
こちらが完全に置いてけぼりです^^;


こういう場合、息子なら、
今の気分を聞けば実況中継してくれたりしますが
彼女の場合は、
今楽しむエネルギーで満ち溢れすぎて
それはNGです(笑)


こんなことの繰り返しをしていると、
それでも少しずつ、自分の気持ちの言語化が
上手くなってきたように思います。


言葉とつながる瞬間に救われた経験が
少しずつ少しずつ積み重なってきたからかな
と思います。


まあ、
保育園の頃は、単純な出来事が多かったから
彼女にとっては、何で悲しいか明確だったけど、
小学校になってからは、
いろんな人間関係や学校、先生、社会との
関わりが増えて、
言語で整理しないとやってけないことが
増えてきている、ということでもあるかな。


いずれにしても、


感情の高低や激しさ、エネルギーの動き方
言語の必要な度合い、
言語と繋がるペース、親和度みたいなものって
人それぞれで、


泣き続ける子供から私はそれを
教えてもらったと感じています。


エネルギーの爆発みたいな空^_^