春ごろから意識して食べる量を減らしてきた。


たくさん食べる方がいいとか、
食べなきゃ元気になれない、
という、
よく言われるセリフの呪縛を
自ら意識して外し始めた。

豪華な外食でも平気で残すし、
ケーキなんかも食べたい量食べたら、
半分残っていても、やめる。

人に作ってもらっても、
始めから宣言して減らしてもらったり、
勧められても、はっきり断る。


付き合い食べもしない。
おしゃべりがメインなら、
おしゃべりの方はしっかりするけど
お茶菓子までは断る。


今では自分の適正量がわかっているので
身体の方がはっきり『もうムリ!』と
言ってくるので、
それをただ伝書鳩する感じなので、
特に罪悪感もない。


そもそも
我が家は父母ともに少食だ。
食べ盛りの頃の兄姉だって、
正直、世間のふつうにしっかり食べる大人程度で
たいしたことはなかった。

 
私もそんな家族の一員だ。


というのを、大人になってから、
気づいた(笑)


我が家が普通と思っていたので、
少食だなんて、思わなかったのだ。


確かに給食では、パンが全部食べられなくて
いつも苦しい思いをしていたけど、
少なからず同じような子もいたから
あまり気にしていなかった。


でも、社会に出て、
付き合い食べや、勧められたものの完食やら
本当は苦しい食後のデザートや果物の完食やらを
しなければいけないと思い込んで
少しずつ少しずつ胃を拡張してきたのだ。


そして、当たり前だけど、
身体が重苦しくなってきて、
なんとなく食と向き合うこと自体が
殺伐としてきた。



身体にとりあえず放り込む、とか
とりあえず詰め込むもの、という体感覚が
じわじわと育って、
げんなりしてしまったのだと思う。



それが、
自分の身体の声に素直になって
食べる量を減らすことで、
ようやく解消されてきたのは間違いない。


他にも
殺伐としたイメージがなくなった理由はある。


子供達が嫌いなものが少し減ってきて、
私の食べたい料理がやりやすくなってきた
ことや



食べたい量が少ないなら、
尚更限られた範囲で食べたいものや
身体にいいものを摂取しようと
意欲がわいたこと、もそうだ。



そんなこんなしていると、
食事自体が味気ないものから、
味のある時間に変わっていった。
  


食べる量は人より少ないけど、
食べることは好きなこと、
になりつつある。



人生であと何回食べられるかわからないけど、
その時間の幸せ度が上がって
よかったな、と思う。