親に心配かけたくない。
と、あまり思って育って来なかったんだけど、
そう言えば最近は、
親に心配かけたくない、
と思うようになった。
といっても、
親のためを思って、とかではなく、
自分のためなんですよねー。
親に心配されると、
何が困る?
私の場合は、正確には、
心配されていろいろ質問されたり
いろんな人の話をそのままアドバイスとして
流してくれたりするのが、
しんどいのです。
なぜ?
単純に時間をとられるから。
(かなり頻繁にされることもあるし)
もあるけど、
聞いてると、明らかに
私より相手の方が心配そうで(笑)
話を聞いてあげたくなるくらいなんだけど、
私は私で心を整えるエネルギーが必要なんです。
自分が抱えるものに対して取り組むための。
だから、こちらの態勢が整っていない時に、
心配シャワーにあうと、
困ります。
心配されるあまり、
自分を整えるための
最低限の時間とエネルギー、
が奪われるほどのアクションをされると
困る、
というわけです。
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心配な人は、やはり安心したいのですよね。
不安な人は安定を求める。
だから、不安のタネは無くしたい、
という思いでそのタネには接触してくる。
で、私の方が落ち着いていたりすると、
さらに不安になるようで、
さらにめんどくさい(笑)
落ち着いている、と言っても、
何も確かなことは分からなくても不安にかられない
程度に自分を整えているだけなので、
もちろん、相手が求める安心を捏造してまで
与えることはできないし、
その不安をゆっくり聞いてあげるほどの
スペースがない瞬間も多いのです。
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あ、親と言っても、
父は違う。
父は一般論も、説教も、励ましも
ききかじったことも、気休めも一切言わない。
唯一言ってくるのは、
自分の人生における経験で似たようなものを
検索しては、一度だけ教えてくれて、
「参考までに」と添えるだけ。
母からすれば、
親身じゃない、とか、ドライに感じる
かもしれないが、
父のそのような寄り添い方は、
とてもとても有難いことだ、と私は思う。
そうなんや。
そんな経験があったんや。
とリアルな体験談付きで入ってくるし、
そういう言葉は身体にすーっと入ってくる。
頭がパンパンになって不安が不安をよぶような
そんな情報とは違う。
だから、父には、心配かけたくない、
は浮かんでこない。
心配はかけているだろうが、
返って、静かに繋がっている、
と感じられて、心強い。
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親に心配をかけたくない、
を掘り下げたら、
自分がはっきり見えて、
また少しスペースが広がった気がします。
今度は母の話ももう少し聞けそうだ、
と思う^_^