このところ、いろいろと気忙しいので、
事をこなすことに、エネルギーが取られる。


あーして、こうなって、
ここをこうしておくと、次はスムーズで
あれは今無理だから、後に回す。
そのうちに懸案が増える。。。


という感じ。


まあ、大人なんだから、
役にたつなら、必要とされるなら、
周囲と助け合って、
生活が進んでいくのもよし、なわけで、



まーったく問題ないと言えばない。


のだけど、


なんと言うか、
自分の感覚が十分に開く暇がないな、
と感じる。


例えば、
外を歩いている時に、
ふっとアジサイの色や形に引き込まれる


とか、


すぐ近くに降りてきたカラスに
人間くさい仕草をみとめて、
思わずジーっと立ち止まって、
気分だけ黒い仲間に混ざってみたり


子供の話の言葉の下にある
それこそ開いている感覚を
降り注ぐシャワーのように浴びて、
体の奥がツーンとしてみたり、


そういう時間が十分に取れない。


いや、時間は作ればあるはず。。。


ただ、


気がかり、がたくさんあるから、
自分の中の感覚の受容器は
今は半開きくらいにしておけ、
と命ぜられているようなのだ。


まあ、命じているのは、私、ですが(笑)


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前は
感覚が閉じているとか、開いているとか、
全く意識したことはなかった。


痛みにも鈍感だったし、


そもそも大人なら、
痛いところの一つや二つで
ガタガタ言うべきじゃない、
と思っていたし、


花の色や、風の匂いや、雲の形や、
自分や人の声の色やハリ、
に気を留めるなんてことは、
あまりなかった。


気を留める、じゃなく、
感じる、かな。


感覚が開いている時は、
胸や背中全体の細胞?とか受容体?
で、わーって感じるから、
頭は使っていない。


すみずみの小さな突起か何かが、
向くーって起きて、
対象からのエネルギー?か何かを
浴びて反応する感じ。


体が振動する。
揺さぶられる。


癒されることもあるけど、
そこそこエネルギー取られるし、
時間は止まる。


とにかく、


そういう感覚が今は
少し閉じ気味なのです。