最近、食べる量が減って、適正量になってきた
と前の記事で書いたんだけど、

じゃあ、何でその前は食べ過ぎていたのか?
が大事だよな、とふと思いました。


毎回理由はいろいろあるけど、


ご馳走を食べる外食が続いて、
たくさん食べることが普通になっていたり、
特に年末年始とか


仕事で机に張り付く時間が多くなって、
手持ちぶたさに、眠気覚ましに
飲食していたり、


あと、純粋にストレス解消に食べたり。


この最後のストレス解消というのは、


『食べる』を、
対象を征服する、飲み込む、
みたいな感じに捉えているんだ、
と思います。


もちろん、無意識のうちに。


とどのつまり、
力の欲求を満たしている、んです。


きっと『食べる』には
手っ取り早く、こういう欲求を満たす
側面があって、


でも、それは、『食べる』の

他の命を生きるために感謝していただいたり、
生命維持に必要な栄養を摂取したり、
美味しい、と感動しながら味わうというような

側面とは対照的で、

しかもあまり人々によって言語化されない、
隠れた一面だと思うんだけど、


時々、自分の中にふと垣間見る気がします。


自分でも、そういう食べ方は、
したくないな、と思いますが、


知らんうちに薄っすらストレスがたまると、
これまた知らんうちに薄っすら
この食べ方が現れて、


ただバリバリせんべいを言わせたい欲求
とか、
とにかく目の前の皿を平らげてやりたい野望
やら、
が起きたりするのです。


こういうのは、当然ながら、
自分の身体が本来欲していない
食べ過ぎ、につながります。


まあ、最近はあんまりなくて、


やり始めそうになったら
先に胃が拒否する、みたいな感じで
止まるように感じます。


こういうのをスルーし出すのは、
身体の信号が何かでかき消されているわけで、
きっとそれが、
ストレスやら、頭の中の作業が忙し過ぎるやら

ともかく、自分サイズじゃないことを
かかえているサインなんだと思います。


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もしかしたら、


子供達が、他の子がお代わりすると、
急に自分もお代わりしないではいられなくなるのも
少し似ている所がある気がします。


特に次女は、
自分の取り皿がいっぱいなのに、
負けじとお代わりの予約に走ったりするんだけど、
毎回結局食べきれないで、
他の兄弟からブーイングくらいます。
食べかけて残すから。


最近では、みんなに指摘されて
取り皿の分を食べきるまで
お代わりを待つようになりました。


こんなのも、明らかに
身体が欲しているわけではなく
頭が欲しがっているという意味で、
健やかな食生活としては、
おかしいんですよね。


人間は毎日食べるから、
こういうのを観察してみると、
自分の状態、家族の状態も
なんかいろいろ分かって面白い気がします。