息子が習い事のテニスで、
うまく出来ないたびに落ち込んでいるのを見て、
 ふと思った。

出来ない→落ち込む

は、必ずしも、絶対じゃない。

出来なくても笑っている子もいるし、
出来なくても、一瞬変な顔するだけの子もいるし、
出来なくても、出来ても
あまり様子の変わらない子もいる。


だから、

出来ない→落ち込む。

とは限らない。


コーチの言うように、
たくさんボールに触れた方が結局うまくなる
のなら、
出来なくても、出来なくても
落ち込む暇もなくチャレンジをした方が
いいだろう。


しかし、息子の場合は、
単に落ち込むのとは違うレベルだから、
結構深刻だ。


つまり、
しばらく呆然とする。

立ち止まったり、
ふと糸の切れた凧のようになる。


かろうじて動いていても
気の抜けたようになって、
構えも忘れたり、出だしも遅れたりするから
さらにうまく出来ないスパイラルにはまる。


なぜ出来ない、が
こんなことまで引き起こすのか。


それは彼の場合、


出来ない自分にいちいち傷ついている、
から。


ちなみに、彼の口ぐせは、


〝僕は最強になりたい。〝


である。


無敵の理想像がある。


その鋳型に自分がはまっているかのように
感じられる時は、
とても気分がよく、
視界も広がり生き生きするが、


それとは程遠い自分、
つまり能力のない自分を見つけてしまうと、
水を2、3日もらえなかった苗木のように、
シワシワ、シューンとなってしまう。


出来る自分の理想像から乖離した自分は
所在無く空間をさまよう。
ユーレイみたい。


パチっとハマった時は、
これが僕だ!と言わんばかりだ。


めっちゃ分かりやすい(^^)


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ちなみに私のボイトレも毎回玉砕の嵐である。


だけど、自分の今、が、自分だと思っているので、
ダメ出し食らっても落ち込まない。


ただその代わり、がっかりする。


コーチの言葉を手がかりに
こうすればいいのではないか、
と方針を立てて一生懸命に練習したのに
全然的外れだった時には、
それはもう盛大にドドーっとがっかりする(笑)


で、また、方針を変えるために試行錯誤する。


そりゃあ、早く上手くなって
気持ちよく歌えたらいいだろうけど、
仕方ないじゃんねー。


自分の人体実験は、自分にしかできないのだから、
ひたすらいろいろ試すしかない。


他者の体感を引き移す、
それも自分の身体という箱にあったように引き移す
なんて、
 

所詮はそういうことでしょう。


それにこの人体実験は、かなり面白い。
合間にいろいろ拾う。


姿勢も呼吸も食生活も変わっていく。


周りの人の声も、聞こえ方がどんどん変わる。


身体の中をいつも探検しているみたいだし。


こんな風な旅を今しているのが
自分の座標とぴったり来てると感じるから、
ずっと歩いているんだろうな。


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自分の中のイメージに自分が合致しないたびに
落ち込む息子は、
頭が先走っているんだなあ、
と思う。


そのジャッジに身体ごと振り回されているのが
ガラス張りによく見える。


逆に言えば、
彼の頭の中の自分の王国は、
すごくパワーを持っている。


いいとか悪いとかじゃなく、
シンプルにそういう状態。


それも、彼の今の座標なんだろうな、
と思いながら眺めている。