最近気づいたのが、
私にとって、何よりも大切なことが、
マイペースだ、ということです。

片付け好きかどうか問われたら、否、
と答えるけれども、
マイペースで片づけるのは大好きだし、

単調な作業は好きかと問われたら、否、
と答えるけれども、
マイペースなら、これも結構好きだし、

料理は好きかと問われたら、否、
と答えることになるけど、
マイペースでできるなら、喜んでするような
気がする。

たいていのことは、
マイペースのふりかけをかけたら
全く別のことに変容してしまいます(笑)


このことに気づいたのは、
家の片づけのことからでした。


かつての私は、
家の中が散らかっているのにイライラし、
片づけられない自分を
管理能力が低いダメ主婦として、嫌っていました。



でも、


自分は本当に散らかっているのは嫌いなのか?
と自問自答していくと、
それは結構ピンポイントな場面に
限られていることに気づいたのです。


例えば、お菓子の食べこぼしなどの、
食品関係の散らかしはダニが増える気がしてイヤ、
なのだけど、
ただの紙くずに関しては、結構寛容だし、

いろんな資料やプリントが
他の家族のものと混じってしまうような
散らかり方は嫌だけど、
単独でそこに落ちていても、
たいして気にはなっていない、とか、


子供たちが作った工作が
あちこちに飾ってあるように置いてあるのは、
全然平気なのだけど、
食器がテーブルに置きっぱなしなのは、
とてもイヤ、だとか。


こんな風にいろいろと細かく見ていくと、
それぞれ私なりに理由はあるのだけど、
私がイラつくことが平気で、
逆に平気なことにイラつく人もいるだろうなあ
と素直に感じました。
実際、家族との気になる、ならないポイントは違いました。


そして、

ああ、片づけられない自分というのは、
ちゃんとした主婦と言えないのではないか
というのは、
漠然と人の目を気にしていただけで、
大した根拠もないなあ、と腑に落ちました。


本当の自分自身は、
自分のペースで、
片づけたいように片づけたいだけで、
完璧にいつもできていることなど、 
まったく求めていない、と気づいたのです。


それから、
バイオリズムによって、
普段なら放置して平気なものさえ、
徹底的に片づけようとすることが、
月に数日あることも分かりました。


その時の私は普段とは別人で、
まるで月をみて狼になるがごとく、
突然、片っ端から片づけまわったり、
鍋や風呂を徹底的にこすり始めたりするのです。


というわけで、


ますます、片づけられない自分
という言葉は意味をもたなくなり、


片づけたいときは片付け、
平気な時は放置している


そんな、自分が残りました。


そして、そのまんまの自分でいるために、


今、こんな気分だから、
ここを片付けたい、模様替えしたい、などと、
家族に伝えたり宣言したりして、やり始めたり、


放置しているときは、
当然気にならないから放置しっぱなし
という生活を送るようになりました。


で、放置しっぱなしの時は、
それが気になる家族が
好きなように片づけるようになりました。



そうなると、


マイペースで片付けや掃除をしている最中に、
ああ、私、片づけたり掃除をすることが好きだなあ
と感じるようになりました。


やりたいタイミングで、やりたいようにするなら、
結構多くのことが、好きなのではないか、

と最近は疑っています(^^)

=========


私のように気まぐれなマイペースでなくても、
こだわりのやり方ってのは人にはそれぞれあって、


その条件下なら好きだけど、
そうもいかないから、嫌いだ
と思っていることって、
結構多いものなのではないかなあ。


早く食べなければならないから、給食は嫌い。
とか、
タイムを計って成績が付くから、走るのが嫌い。
とか、
献立を考えなければならないから、料理が嫌い。
とか、
決められた範囲しか出来ないから、宿題が嫌い、
とか。


これらは、給食や、走ることや、料理や、宿題の
一面だけをとりあげて、全部きらい、
と認識してしまっているけど、
本当は、ある条件さえ取り除けば、
好きなのかもしれないですよね。

そういうのをいろいろ抽出して、まとめてみると、
その人なり、の個性豊かな〇〇のふりかけ、
というような、共通のものが出てくるってことも
あるんちゃうかな、と思います。